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廃語の風景③ ― スカ [廃語の風景]

下り8000系快走:撮影;織田哲也.jpg

映画 『Always 三丁目の夕日』 の主人公のひとり、小説家の茶川竜之介は小説では食べていけないので、オンボロの駄菓子屋を営んで糊口をしのいでいます。
文学雑誌の懸賞に応募はするものの落選続きで、それを店の客の小学生にまでからわれます。
その腹いせに、店に出している10連発ピストルの当たるくじ引きのくじに、「スカ」 という文字をどんどん書き続けていくシーンがありました。
子供の頃に駄菓子屋でくじ、あるいは当てものをした経験のある人なら、外れたときのくやしさは必ず記憶にあります。毎回 「アタリ」 ばかり引いていた人はいないはずですから。
けれども、いつの間にか 「アタリ」 でないくじは 「ハズレ」 になって、「スカ」 という文字は今では見かけなくなってしまいました。

「ハズレ」 と 「スカ」 とでは大きな違いがある感じがします。
たとえばサッカーでシュートを打って、ゴールネットを揺らせば当然それは 「アタリ」 です。
惜しくもキーパーに阻まれるかゴールを外してしまったとき、それは 「ハズレ」 になりますね。
ところが同じシュートの場面で、ボールが足下にあるのに空振りをしてしまった。「スカッ」 という擬態を残して。ここに 「スカ」 の本質が見えます。
ゴールを外してしまった友人には 「ドンマイ!」 などとかける声もありますが、大事な場面でスカッと空振りをしてしまった友人の周りには無言の重みに支配された異様な空気が漂うだけです。
本人にとっても、前者は確実にシュートを決めるにはもっと自分を磨かねばといった反省も働きますが、空振りの場合は自己嫌悪に陥るばかりで反省する気力さえ残されないでしょう。

このように見ていくと、「ハズレ」 には救いがありますが 「スカ」 にはない。
「スカ」 には絶望だけがありありと現れている印象です。
だが果たしてそう言い切っていいのでしょうか。へそ曲がりの私は、「スカ」 こそが人生の節目になるように思えてならないのです。
こんな2パターンの場面を想像してみてください。

【パターンA】
俺は昨夜、バーである女と知り合い、意気投合してベッドを共にした。
一夜明け、目覚めると女は部屋を出て行こうとしている。その背に向かって俺は声をかけた。
「また会ってくれるかい?」
女は俺に一瞥をくれながら冷たくこう言い放った。
「貴男は私にとってハズレだったわ」

【パターンB】
俺は昨夜、バーである女と知り合い、意気投合してベッドを共にした。
一夜明け、目覚めると女は部屋を出て行こうとしている。その背に向かって俺は声をかけた。
「また会ってくれるかい?」
女は俺に一瞥をくれながら冷たくこう言い放った。
「貴男は私にとってスカだったわ」

パターンAの場合、部屋に取り残された男の考えることは、「なんだあの女、冷たくしやがって。こっちこそお前なんか願い下げだ」 といった程度のものでしょう。
そこには反省もなければ、単に運の悪さを呪う言葉しかありません。
ところがパターンBの場合、「スカ」 扱いされた男が 「ふざけやがって。今にお前など足元にも寄りつけないようないい男になってやるわ」 と、一念発起するチャンスの可能性があるとは思えませんか。
これは私が 『夢の回廊』 でしばしば述べてきた、「絶望の深さとロマンの高さは比例する」 ということに通じるパラドックスです。
「スカ」 を引いたからこそ、人生に本気で向き合える。そんなことがもしあるなら、だからこそ娑婆世界に生きる妙味もあるというのものではないでしょうか。

「アタリ」 の反意語が 「ハズレ」 であるというのは、言葉の上で柔らかい印象にしているだけで、本質的には誤魔化しマヤカシの世界であるような気がします。
人生でいちど 「スカ」 を引いてみるがいい。「ハズレ」 ではなく 「スカ」 を。
「スカ」 のリアル(real)を噛み締めてこそ、その向こうに夢(dream)が広がっていくこともあります。
若い世代の人たちに伝えておきたい言葉です。私が生きているうちに。

http://www.youtube.com/watch?v=BQTLs4QCSB4
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