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廃語の風景④ ― 駄菓子屋 [廃語の風景]

中央線と富士(立川近郊):撮影;織田哲也.jpg

前に 「スカ」 について述べたとき駄菓子屋が場面として登場しましたが、考えてみると駄菓子屋自体、廃語であるように思います。
たしかに駄菓子屋はいまもありますが、レトロショップとして開店しているところがほとんどです。
そこで売られている商品もチープな雰囲気のものではありますが、それぞれ衛生管理がしっかりなされていて、誰が食べても安心なものになっています。
そんな駄菓子屋は、私の知っている 「あの駄菓子屋」 とは趣きがまったく違うのです。
何がいちばん違うかといえば、今の駄菓子屋には 「子供だけの悪所」 といった風情がないことです。
子供の世界というのは大人の世界の前段階などではなく、それ自体が独特の価値観を持ったものであり、大人の介入を許さないことが無言のルールとして存在している世界なのであります。
(⇒参照: J.J.ルソー 『エミール』)

個人的な話になりますが、私の実家は堺市でちょっとした救急医院を営んでいました。
父親が医師で母親が看護師ともなれば衛生観念は強いのが当たり前で、駄菓子屋に行くなどもってのほかという指導を受けていました。
近所にN君という同級生がおり、彼の家は医薬品の卸問屋を経営していて、私と同じように駄菓子屋で買い物をしたことなどありません。
その二人があるとき共謀して、思いっきり駄菓子を食ってみたいものだという話になりました。

堺市は刃物や自転車の工業が発達していて、近所には鉄工所やネジの工場などがたくさんありました。
私たち二人は道に落ちている鋼のボルトやナット、銅線、真鍮の加工品などの欠片を集めて、鉄屑屋さんに売りに行くことを思いついたのです。
実際、高度経済成長当時の工業地帯では、金属片の管理などいい加減なものだったのでしょう。二人で30分ほどかけて集めた金属片は、売りに行くと100円以上になりました。
もちろん今の100円ではありません。公務員初任給が2万円程度の時代の100円です。
子供のお小遣いも平均すれば1日20円ほどだったので、一人50円の駄菓子が買えるとなればもうこの世は天国みたいな気分です。

N君と私がそうやって儲けた(?)お金を握りしめ、胸ふくらませて訪れた駄菓子屋さんは、なんとも妖しい魅力がいっぱいのワンダーランドでした。
当時の駄菓子屋さんの様子はネットで画像検索すればいくらでも出てくるので、ここでは細かい描写は省きますが、ひとつ2円とか3円とかいった水彩絵具のような色合いのお菓子がいっぱい並んでいて、本当に健康に悪いものばかりだったでしょう。
一例をあげると、1つ2円で売っていた 「変わり玉」 という飴菓子は、口に入れた瞬間に舌の上に赤い色が広がり、さらに舐めるにしたがって舌が青や緑や黄色に染まっているといった代物でした。
人工着色料の塊と言って差し支えない、とんでもない食品だったに違いありません。親が 「行くな」 といった気持ちも、今から思えば当然の話なのです。

現代の子供たちは、そんな 「子供だけの悪所」 を経験することはできたのでしょうか。
私たちの時代よりも、はるかに早熟な子供たちが増えています。sex の経験年齢も、当時の常識とはずいぶん異なる環境に現代の若者たちはいると思います。
けれども sex はどんなに時代が変わろうと大人の世界の産物であり、そこに近づくのが早いからといって、彼らが子供だけの世界をじっくり熟成してきたかどうかとは別物の話ではあるでしょう。
コンビニの前にたむろしてカップ麺などをズルズル食っている高校生などを見るたび、
「ああ、彼らにとっては今が駄菓子屋の時代なのだろうけど、もっと幼い時期に子供としての悪所通いをしたかったんだろうな」
そんなふうに思えば、青少年が少々街を汚したって、全部許してあげたい気になったりもするのです。

http://www.youtube.com/watch?v=pcmh2FoDH5A
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