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廃語の風景⑥ ― ビートルズ1966 [廃語の風景]

DE10単機回送:撮影;織田哲也.jpg

初めに弁解しておきたいのですが、私は 「ビートルズ」 という歴史的なユニットが現代音楽における意味を失ったと主張しているわけではありません。
あえてあとに 「1966」 と付け足しています。この年は日本武道館において、彼らの最初で最後の日本公演が行われた年です。
その公演の周辺で起こったいろいろな出来事を整理していけば、なぜ 「ビートルズ1966」 を廃語認定したかということをお分かりいただけるかと思います。

ビートルズ日本公演は、1966(昭和41)年6月30日から7月2日の3日間に、5回のステージで行われました。
今ではコンサートといえば2時間公演が相場ですが、当時は1ステージ30~40分が常識で、だから1日に2回公演することが可能だったのです。
公演の計画はその年の早春から交渉が始められ、4月9日には読売新聞に次のような記事が掲載されました。
「読売新聞社は協同企画、中部日本放送と協力して本年6月末、現在世界で最も人気のあるイギリスのボーカル・グループ 『ザ・ビートルズ』 一行4人を招き、極東で初めての演奏会を開催することとしました。(中略) 今回はザ・ビートルズ一行が6月からドイツ、アメリカ、カナダ演奏旅行の途次、日本公演が実現することになったもので、我が国音楽界の最大の話題であり、音楽愛好家にとってまさに千載一遇の機会であります」

日本公演の入場券はハガキによる抽選販売でした。3日間5ステージの合計収容人数は多く見積もっても3万人でしたが、全国から集まった応募は20万通を超えています。
会場が日本武道館であったことは大きな波紋を呼びました。当時の武道館理事長は、
「女王から勲章を授けられた英国の国家的音楽使節、ザ・ビートルズが読売新聞社の招きにより、初めて日本で公演をすることになりました。(中略) 英国側からも重ねて強い要請がありましたので、諸々の情勢を検討した結果、その使用を許可することになりました」
と声明を発表しましたが、当の読売新聞社・正力松太郎オーナーは、
「ペートルなんとかというのは一体何者だ? そんな連中に武道館を使わせてたまるか」
と発言しています。

TBSテレビで人気の 『時事放談』 という番組では、
「ビートルズがこじき芸人なのは、騒いでいる気違い少女どもを見れば一目瞭然」
「あんな気違いどものために武道館を使わせるなんて、もってのほかだよ。ゴミだめの夢の島でやらせりゃいいんだ」
などの発言が相次ぎ、ファン心理との間の摩擦はますます上昇。
これに対し警視庁は 「ビートルズ対策会議」 なるものを立ち上げ、来日に際しては機動隊のべ3万5千人の導入を決定し、ついでに都内の小中高等学校に対して 「良識ある行動をとるように生徒に話してほしい」 と異例の要望まで出しています。
6月24日には暴走ファン対策の一環として、警視庁は非行少年早期対策を敢行、683人を補導しています。武道館・北の丸公園周辺は、今から思えばテロリスト対策かといったふうな厳重警戒態勢が敷かれていきます。

6月29日、暴風雨の影響で大幅に遅れていた日航機が、ついに羽田空港に到着しました。
ビートルズの面々はハッピを着て軽快にタラップを降りてきましたが、すぐにキャデラックのリムジンに乗せられ、ヒルトンホテル(現:ザ・キャピトルホテル東急)に直行。ホテルの警備には婦人警官を含む2000人の警官隊がスクラムを組みました。
毎日新聞:「安保、日韓を除いては、警視庁創設以来の大規模な警備体制」
朝日新聞:「前後がパトカーを固める。国賓なみに税関もフリーパス。あっけにとられる歓迎陣を後目に100キロ近いスピードで空港北端のゲートから消え去った」
などと報じています。

ものものしい警備とはうらはらに、ステージは熱狂の中で展開します。
第一回目のステージに立ち会った作家の北杜夫氏は、
「ビートルズの姿が現れるや、悲鳴に似た絶叫が館内を満たした。それは鼓膜をつんざくばかりの鋭い騒音で、私はいかなる精神病院の中でもこのような声を聞いたことがない」
と、中日新聞に寄稿しています。
また都議会警備消防委員会のある議員は、
「警視庁が主催者の片棒をかついだものであり、また神経過敏になりすぎた大袈裟な警備が、逆に狂乱状態をあおることになったのだ。税金の無駄遣いだ。」
とコメントしています。

7月1日の午後2時からの公演はTV放送され、視聴率60%と驚異の数字をたたき出しています。
ビートルズのメンバーは、つごう在日103時間を経て、次の公演地であるフィリピンへと向かいました。ここで最後のハプニングが起きます。
当初予定されていたキャセイ航空から日航へと、航空会社が急きょ変更になったのです。
これは日航側が、航空運賃をタダにするからうちの旅客機に乗ってほしいと要望したためで、「ビートルズが乗った飛行機」 というPRを打つための作戦だったということです。

ビートルズ来日のこの年、私は小学5年生でした。
公演の模様はTVで少し見ましたが、キャーキャー言う声が高すぎて、演奏がほとんど聴けない状態であったことをありありと思い出します。
現在に至るまでには、おそらくもっと耳をつんざくようなコンサートを経験しているはずですが、「社会的狂乱」 という意味ではビートルズ1966に勝るものはないと思っています。
上記の中で、「あんな気違いども」 「ゴミだめの夢の島」 「いかなる精神病院の中でもこのような声を聞いたことがない」 などの発言は、あえて引用しました。
当時のものとはいえ、差別発言と受け取られてもおかしくない表現です。ただ時代が大きく変わりゆく断層面に、真っ正直に咲いた花の言葉であることは否めません。
私が 「ビートルズ1966」 を廃語として扱った理由は、まさにその点にあるのです。お汲み取りいただければ幸いですが。

http://www.youtube.com/watch?v=q3xEn2uV7qo

つぶやき:普段は1つの記事で平均30分、短い場合はそれ以下の時間で仕上げていますが、今回は1時間以上かかってしまいました。まあ、格別のネタですから。
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