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廃語の風景⑦ ― 喫茶店のマッチ [廃語の風景]

日野駅の湾曲ホーム:撮影;織田哲也.jpg

知り合いの印刷会社はかつて、喫茶店のマッチの製造を得意としていました。
印刷だけでなく、紙の断裁や箱の組み立てなど結構手間のかかる作業で、30年ほど前までは売上全体に占める割合もかなり高かったという話です。
それが現在では注文が激減し、入ったとしても単純な構造の折り畳み式紙マッチがほとんどだそうです。
1970年代半ばにいわゆる100円ライターが普及したことによって、マッチの使用頻度や製造個数は急速に低下していったようです。

1970年代半ばというと私が一浪して大学に進学した頃と重なります。
喫茶店に入り浸って水ばかりお代りしながら何時間も、友人とダベったり、独りで本を読んでいたりという習慣があったのもそんな時代でした。
少しおしゃれな喫茶店のテーブルの上には、灰皿の脇にその店が独自に作ったマッチが置かれていました。
デザイン的に優れたものも多く、一時期は毎日違った喫茶店を訪れて、そうしたマッチを集めて回っていました。机の引き出しには、常時100個を下らない数のコレクションがあったと思います。
しかし100円ライターの普及の速度は驚異的に速く、気がつけば喫茶店のマッチは街から姿を消していきました。
時を同じくして、私のコレクション熱も冷めてしまいました。集めたくなるような凝ったデザインのものが次第に少なくなっていったことも原因のひとつだったでしょう。

いや、それ以上に、私自身が喫茶店に入り浸る機会を減らしてしまったことがあげられます。
また街なかにはファーストフードの店やファミレスが勢力を伸ばし、昔ふうの雰囲気のある喫茶店が凌駕されていったのも大きな理由と言えるでしょう。
一部の地域を除いて喫茶店文化などと呼ばれた風景は消え、安さや手軽さがいちばんに求められるカフェには、手の込んだマッチなど必要のないものとなってしまったのです。
神田神保町に行けば、「さぼうる」 「ミロンガ」 「ラドリオ」 など歴史と風情を有した喫茶店は今でも営業していますが、私はそうしたお店よりもファミレスを利用することが多いです。
理由は簡単で、ファミレスのテーブルは面積が広いので、飲食をしながらノートPCを操作したり、取材した資料を広げたりすることが容易だからです。
私自身の心の中では、喫茶店文化を味わおうという気分は過去のものとなってしまいました。

奇しくも2月18日は 『嫌煙運動の日』 です。1978年のこの日、「嫌煙権確立をめざす人々の会」 が結成されたそうです。
今や喫茶店内は分煙化が進み、もとから喫煙席の設置されていないお店も増えました。
私は本数はめっきり少なくなりましたが、喫煙の習慣が多少残ってます。それでも禁煙席を利用することのほうが圧倒的に多いのは、いろいろな人の吐き出した煙のなかに真昼間からいることを嫌うからです。
1980年代に市場を席巻したデオドラント文化の影響を受けて、私もそんなふうに変化しました。
喫茶店のマッチの思い出は、猥雑な空気が支配する環境に入り浸っていることを自ら求めた、あの若い日々の記憶に重なっています。
そうした記憶の片隅には、煙草の先に火を点けようと喫茶店でマッチを燃やしたときの燐の匂いが漂っています。
それを素直に懐かしいと感じる反面、思い出したくない記憶がその匂いの周辺に潜んでいるような気がして、なぜか眉をひそめてしまったりもするのです。

http://www.youtube.com/watch?v=rl5dFVySigY
1973年のリリースとはとても思えないセンスの良い曲です。
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