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廃語の風景⑧ ― ながら族 '70 [廃語の風景]

立川某所:撮影;織田哲也.jpg

「ながら族」 という言葉すら、今の若い人は 「え、なにそれ?」 と言うかもしれません。
これには1970年代に大流行したラジオの深夜放送が深く関係しています。その深夜放送を聴き 「ながら」 受験勉強に精を出した世代を称する言葉です。
いわゆる団塊の世代の先輩たちは、大学の募集人員に対して、受験者数が圧倒的に多かった時代に生きていました。
その当時の言葉として 「四当五落」 というのがあります。これは、睡眠時間が四時間の者は合格するが五時間も寝ている奴は受験に失敗するという意味で、いかに熾烈な受験戦争が展開されていたかを物語っています。
現代では受験する若者の人口が減少したり、高等教育機関が多様化したり、その募集人員が増えたりして、環境が整えば誰でも高等教育を受けられるようになりましたが、ひと昔前はそう簡単にいく話ではなかったわけです。

団塊の世代でブームとなり、私の世代で多様化したのが、まさにラジオの深夜放送でした。
人が寝静まってから受験勉強はいよいよ佳境に入る。そのとき、圧縮された空気をほんの少しほぐしてくれる存在が、まさにラジオだったのです。
そんな 「ながら勉強」 が功を奏した人もいれば、そのせいで勉強に熱が入らなかったという人もいます。いや、そちらの人のほうが確実に多かったはずです。
そもそも 「ながら族」 とは日本医科大学の木田文夫教授が、何か他事をしながらでないと物事に集中できない精神疾患の人をさして表した言葉ですから、はなから文化の範疇に入る話ではあり得ないのです。

ではなぜ1970年代の深夜放送が多くの若者を惹きつけたかというと、それには大きく2つの理由があると私は考えています。
ひとつは、それまで扱われなかった深夜という時間帯に新しい若者文化を開放しようとしたことの功績です。
いまひとつは、商業ベースに乗れなかったフォークソングやニューロックのミュージシャンをDJに起用したことで、新しい音楽シーンを展開することができたからです。
深夜放送に没頭しすぎたために受験に失敗した若者も当時はたくさんいたことでしょう。
それでも恨み言が聞かれないのは、たとえ結果が出なくても、そのときに流れていたラジオの声や音楽に、若い感性が間違いなく同調していたからではないかと思えます。

私は団塊の世代よりも5年ばかりあとの生まれですから、ラジオの深夜放送に聴き入ることはむしろ、大人の世界への早熟なスタートという意味合いのほうが強かったと思われます。
同世代にとって 「ながら勉強」 は大学受験を特定したものではなく、中学生・高校生が少しずつ成長していくための日常的な過程や営みとなりつつありました。
私が高校時代に思い入れのあったのは、大阪のMBSが1:30から5.00まで放送していた 『チャチャヤング』 という番組です。
パーソナリーティーはミュージシャン(メジャーになる前の谷村新司など)以外にも、放送作家や大学教授、SF作家(眉村卓さん)などがラインアップされていて、まさに多様化の花が開いた時代でした。
………

多様化の次は俗物化が起こり、その次にはマンネリ化が起こる。これは大衆文化の逃れられない運命なのでしょうか。
1983年にフジテレビで 『オールナイトフジ』 が放映される頃にはラジオの深夜放送はめっきり影をひそめ、1994年には城達也さんの 『ジェットストリーム』 がひっそりと幕を閉じました。
「ながら族」 という言葉がいつごろ消えたのか、私には判別できません。
ひとつ現象としてわかっていることは、いつのまにか 「~族」 の時代は姿を消し、いつのまにか 「~系」 の時代に移行していたということだけです。
ある世代を十把一絡げにして 「~族」 と表現するような風潮には、私は賛同できません。
かといって、そう言ってしまえばなんとなく理屈が通るような 「~系」 という逃げ方は、断じて創造的であると思えません。

私にとって心の置き所を探すという作業は1970年代の深夜放送ラジオの時代に始まりましたが、いやまさか、今にまで継続されているとは思いもしませんでしたよ。

http://www.youtube.com/watch?v=S45sZVbKm-g
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