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廃語の風景㉒ ― ジュークボックス [廃語の風景]

八高線初夏:撮影;織田哲也.jpg

骨董品を扱うお店に、1台のジュークボックスが並べられていました。
店主の説明によると、多分まともには動かないし、レストアしてくれる工場もあるが結構値が張るということでした。

ジュークボックスは、今ではアンティークを売りにしているお店に行かないと見られない代物です。
かつてはホテルの娯楽室や喫茶店、パブ、ゲームセンターあたりではメジャーな存在でした。
大型スーパーのような店舗でも、今で言うとガチャガチャの機械が並んでいるような空間に、ジュークボックスが置いてあることさえありました。

1980年に上京して、最初に住んだ中野のアパート近くに T というスナックがあり、そこでは100円で3曲かけることができました。
コインを投入後、曲名の書かれたボタンを3つ選んで、順に押していきます。
すると機械の中で、シングルレコードが縦にいっぱい並んだ円盤がくるりと回転し、その一か所にアームが伸びてお目当てのレコードを取り出してきます。
あとはアームが取り出したレコードをターンテーブルにセットし、針が降りて曲がかかる構造になっています。なんともアナログなシステムです。
スナック T には8トラックのカラオケもあったのですが、誰かがジュークボックスを使い始めると、3曲かかり終わるまでカラオケは休憩でした。
お隣さんと会話をしながらグラスを傾けつつ、客はみんなでジュークボックスの奏でる音楽を聴くということになるのでした。

「みんなでレコードを聴く」 などという慣わしがあったのも、概ねこの頃までではないかと思われます。
学校や図書館、公民館、教会などでは 「レコード鑑賞会」 なる集いがときどき開催され、みんなで静かに音楽を鑑賞しましょうといった具合でした。
京都の木屋町には、私が何度か通った名曲喫茶 M がありました。
スピーカーは超大型で、とうてい学生が自室に保有できるサイズではありません。延びのある重低音が何と言っても魅力です。
店員も客も会話など交わさず、クラシックの調べに身を委ねました。
客の大半は心地よい BGM に揺られながら、本を読んだりレポートを書いたりしていましたが、中には本気で音楽鑑賞に没頭している客もおり、コーヒーカップを皿に置く音をさせただけで睨みつけられたことがあります。

1979年に、SONY から 『ウォークマン』 の第一号が発売されました。
数年の間にそれは世界的大ヒット商品となり、若者を中心に多くの人々がイヤホンを耳に入れ、音楽を楽しみながら街を歩いたりするようになりました。
ウォークマンは音楽をより身近で手軽なものにし、生活のあらゆる分野が音楽との共存を可能にしたという点で、多大な功績がありました。
と同時に、イヤホンやヘッドホンを使う習慣が一般化されたことで、録音された音楽は他人と共有するものではなく、個人の世界で楽しまれるものという価値観が定着しました。
このウォークマンの流行とジュークボックスの衰退とは、時を同じくしているように私は思います。
テレビの歌謡番組が少なくなってきたのも、1980年代半ばあたりからではないでしょうか。

その後、ウォークマンはカセットテープから CD,DAT,MD などの媒体を経て、iPod に代表されるデジタル・プレーヤーに至りました。
専用のプレーヤーを用意しなくても、スマホで音楽編集までできる時代になっています。
音楽を聴くという行為がお手軽になりすぎて、感動が薄れてきたのではないか。
これは世相の流れに掉さしている人を批判しているのでも何でもなく、私自身がそのように実感してしまっていることなのです。

ジャズやオールディーズの名盤を集めたジュークボックスを置いている喫茶店やバーも、探せば都内、横浜、鎌倉などにあります。
こんど休みがとれたら、わざわざジュークボックスをかけるためだけに、そうしたお店に出かけてみようかと思っています。

http://www.youtube.com/watch?v=XA0KbpNOBEs
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