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廃語の風景① ― チャルメラ [廃語の風景]

タキ(タンク貨物車輌)高尾駅通過:撮影;織田哲也.jpg

ある物事はちゃんと存在するのに、それを表現する一部の言葉が世の中で使われなくなった場合、その言葉を私たちは 「死語」 と呼びます。
たとえばファッションにせよ行動にせよ、時代の最先端をゆく若者は存在し続けるわけですが、その若者たちを 「ナウなヤング」 と呼ぶことはなくなりました。これが死語の典型です。
その一方、ある物事を表す言葉はそれしかなくても、その物事自体が時代遅れになってしまったがために、言葉も自然に忘れられてしまうということもあります。
これを私は 「死語」 と区別して、「廃語」 と呼ぶことにしました。
廃語のバックには、廃れてしまった時代の景色が広がっています。
ちょうど赤字ローカル線が廃止されたあと、錆びたレールが雑草の中に姿を留めていたり、誰も訪れなくなった駅舎がひっそりと佇んでいるような風景です。
そこで鉄道ファンが廃線跡を辿る旅に出るように、毎回廃語を1つずつ取り上げて、その背景をわずかながら考察していこうと思いついたのです。
最初に申し上げておきますが、「昔は良かった」 的な発想でやろうとは思っていません。レトロにはレトロとして現代に生かせる情緒や知恵を含み持つからです。

最初のテーマは 「チャルメラ」 にしました。
昨日のブログ記事でおでんの屋台を思い出したのがきっかけです。
子供の頃、親は 「夜鳴きソバ」 などと呼んでいましたが、チャルメラを吹くラーメン屋台は私が社会人になってからもちらほら見かけたものです。
語源はポルトガルから伝来した楽器 “charamela” によるものですが、これに似た楽器は中国や朝鮮、琉球などにも存在したようで、江戸城中での演奏の風景が絵画に残されていたりします。

チャルメラという言葉は今の世にも固有名詞として生きています。もちろん明星食品が1966年に販売を開始したインスタントラーメンの名称です。
最初のパッケージでは、チャルメラ吹きのおじさんはやや無精髭を生やし、腰に手拭いをぶら下げています。穿いているズボンは膝のところにつぎ当てが施されています。
今の若い世代は商品名としての知識はあるでしょうが、実際のチャルメラの音色や、その音色とともに移動していたラーメン屋台の風景を知っているでしょうか。
娘にきいてみると、チャルメラの音色の記憶はあるそうです。ただし実際に吹かれていたものではなく、軽トラック化された屋台からテープの音声で流されていたものだということです。

私が子供時分、チャルメラはだいたい秋の深まりとともにどこからともなくやってきました。
しんしんと更ける冬の夜、はじめ遠くの方にかすかに聞こえ、それからゆっくりと家の近くを通過し、角を曲がって公園の向こうに消えていくのがその物悲しい音色でした。
物悲しいのも当然で、長崎の唐人街では葬式の席で演奏されていたとも言われています。
子供にとってはとっくにお休みの時間です。チャルメラの鳴る時間帯は子供が関わってはいけない大人のそれであるということを、私は知っていました。
夜は子供の世界の向こうにあるものであり、夜更かしは大人の特権であり、夜鳴きソバを含めて夜食は大人だけが食べてよいものであったわけです。

そして、あのチャルメラを吹いているおじさんはどんな人なのだろう、どこから来てどこへ帰って行くのだろう、こんなに寒いのに遅くまで仕事をしているなんて大変じゃないのだろうか。
何重にも重ねた布団の中にもぐりこんで、私は子供の世界の向こう側を想像しながら、いつのまにか眠りについたものでした。なぜか少しべそをかいたりしながら。

http://www.youtube.com/watch?v=6BHbSjWKq-w
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