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廃語の風景② ― ちゃぶ台 [廃語の風景]

万願寺付近の浅川堤防:撮影;織田哲也.jpg

ちゃぶ台は4本の足を折りたためる、黒くて小さくて円いお膳というのが一般的なイメージです。
四角いのはテーブルであって、ちゃぶ台とはあまり呼びません。ましてや来客があったときに出すのはずっと重厚なお膳であって、ちゃぶ台はあくまで家族が食事をするためにだけ使われたものです。
昔の映画などを見ていると、怒りにまかせて丸いちゃぶ台をひっくり返すとんでもないオヤジが出てきたりします。『巨人の星』 の星一徹は四角いテーブルをひっくり返していますが、それは邪道かもしれません。

漢字で書くと 「卓袱台」 となります。
卓袱の中国語読みは “chuofu” に近いもので、もともとはテーブルにかける布のことでしたが、そのうちテーブル本体を指すようになり、最後にその上に並べる料理を表すようになりました。
唐風の料理を和風にアレンジしたものを 「卓袱(しっぽく)料理」 といい、長崎名物となっています。
大勢で円いテーブルを囲み、大皿に盛った何種類かの料理を自分の小皿に取り分けていただくのが特徴です。
四角いお膳だと上座や下座といった席の決まりごとが生まれますが、円いテーブルには席の上下がありません。卓袱料理からきたそんな慣わしが、家庭のちゃぶ台にも流れてきているように思います。
その証拠と言ってよいかどうか、厳格な家庭では一家の主だけが四角いお膳で食事をとり、女子供は円いちゃぶ台を囲んでいた、という話も聞いたことがあります。

ちゃぶ台が登場するのは、いわゆる 「茶の間」 と呼ばれる和室です。
ちゃぶ台を囲んで、一家そろって食事をとる。どの位置からも円の中心に向かって座る形になります。
いつもむっつりしているお父さんや、口うるさいお母さん、不機嫌なお姉さんや生意気そうなボクなど、自然に家族全員の顔をみんながうかがうようにできていました。

こうした風景に変化が起きたのは、茶の間にテレビというものが登場したときからでしょう。
食事中にテレビがついているのが当たり前になってくると、全員が円の中心に向かっていた姿勢は大きく崩れることになります。いわゆる求心力の喪失現象です。
お父さんやお母さんは比較的見やすい位置にいますが、子供たちはいちいち振り返ってテレビを見、その行儀の悪さを咎められることが増えました。しかし親もテレビを半分見ながら叱っているわけで、そうなると当然、子供たちも真正面からは叱られず、半身の姿勢で受け流したりしてしまうのです。
それから時代は急速に進み、今では食事をとる時間が全員バラバラになったり、テレビも1部屋に1台で好き勝手に番組を選ぶ状況にもなりました。

茶の間から 「ちゃぶ台が消えた」 のと、家庭の中から 「茶の間が消えた」 のとで、どちらが早かったのかは私には判断がつきかねます。
部屋というのは四角いもので、そこに置かれている箪笥や棚やテレビなどもみんな四角い形をしています。
その四角ばった空間の真ん中にたったひとつ円いものが置かれていて、畳の上にそれを囲んで生活の最大の関心事である食事を共有していた時代。
暮らしの中に円いものや丸いものを意識的に取り込んでいくことは、意外に大事なことかもしれません。
現代でもそんなライフスタイルの工夫は、気持ちひとつで可能ではないかと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=iEshQf-tCJE
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