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廃語の風景⑰ ― 半ドン [廃語の風景]

205系兄弟:横浜線0番台・相模線500番台:撮影;織田哲也.jpg

見直しが検討されているとはいえ、現在はほとんどの学校が週5日制を採用しています。
1990年代から第2土曜日が休みとなり、2002年以降は公立小・中・高校の多くで毎週土曜日が休業日となりました。
社会一般には1980年代から週休2日制を採用する企業が増加の一途をたどり、2000年代にはそれが常識となっています。
それ以前は学校でも企業でも、通常のお休みと言えば日曜日と祝祭日のみで、土曜日は 『半ドン』 となっていました。
半ドンという言葉さえ知らない若い世代も増えています。午前中だけ仕事や授業があることで,お昼の12時過ぎには拘束から解放されるというわけです。

半ドンの 「ドン」 とは何か?
夏目漱石の 『坊っちゃん』 には、四国の中学に赴任した主人公が初めて教壇に立ったとき、生徒から大声で 「先生」 と呼ばれ、「腹の減った時に丸の内で午砲(どん)を聞いたような気がする」 という心理描写があります。
「丸の内の午砲」 とは、明治から大正にかけて庶民に正午を知らせるために皇居内で鳴らされた号砲のこと。漱石が 「午砲」 にふりがなを振っているように、東京市民は 「どん」 の名で呼んでいたそうです。
で、私はこの 「どん」 が 「半日」 とくっついて 「半ドン」 になったものとばかり思っていましたが、それはただの俗説でした。
正しくはオランダ語で 「日曜日」 を表す zondag (ドンタック) が由来で、土曜日は半分だけ日曜日というところから 「半ドン」 となったわけです。
この zondag は5月に福岡で開かれる 「博多どんたく」 の語源にもなっています。

私はこの半ドンの土曜日が大好きでした。中・高時代は部活動も、試合の直前でない限り土曜日にはありません。
昼飯もそこそこに、よく旭屋や紀伊国屋など大型書店を訪れて面白そうな本を探し、喫茶店で水ばかりお代りしながら読んですごしました。
また大阪・日本橋の電気屋街に繰り出して、抵抗やコンデンサなどの電子部品を買い漁ったり、アマチュア無線用の通信機に触れたりもしました。
男どもとビリヤードを打ちに行ったり、女子も交えて映画やボウリングに興じたことも度々です。
そうした遊びをせず1時間かけてまっすぐ帰宅した場合でも、TVをつけると吉本新喜劇や松竹道頓堀アワーなどのお笑い番組がやっていて、飽きるということを知らずに残りの半日を過ごしていました。

週休2日制しか知らない世代は、土曜日の前半に仕事や授業があるのは半日を損したような気分かもしれませんが、そういう拘束時間があることによって、あとの半日がより際立って楽しく感じられたのではないでしょうか。
高校を卒業して花の浪人生活に入ると、そうしようと思えば自由に使える時間ばかり増えました。
大学生から社会人へと成長するにつれてすっかり夜の世界に心が囚われ、半ドンの楽しみ方などきれいさっぱり忘れてしまいました。
現在に至ってはフリーです。〆切や打ち合わせが続いたり不安定な心境に陥ったりするなど実際には不自由な境遇ではあっても、自由業者と呼ばれる身分です。
一家離散して路頭に迷う覚悟さえあれば、容易にすべてを捨てる権利が私の手にはあります。まあ、しませんけれど。
そんな状態が幸なのか不幸なのか。
少なくとも、「今日は半ドンでラッキー!」 といった高揚感を感じることはできません。

ときどき思うのですが、土曜日の午前中だけ何かアルバイト、例えばビルの清掃とか店番なんかをやってみたいものです。半ドンの午後をどう過ごそうか、もう一度わくわくできるかもしれませんから。

追伸: 「丸の内の午砲」 に使用された大砲は現在、都立小金井公園にある江戸東京たてもの園に保管されています。いちど見に行ってみようかな。

http://www.youtube.com/watch?v=tOWlVxQHOUc
1980年のリリース。私が社会人になって上京した年です。
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