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廃語の風景⑱ ― そろばん教室 [廃語の風景]

武蔵野線205系:撮影;織田哲也.jpg

「そろばん教室」 じたいは現在でも全国にありますが、私が小学生ころの教室数とは比べ物にならないくらい数が限られています。
そこに通う動機は、今は競技珠算を除いては脳トレが大半です。
5と10の合成分解を繰り返すそろばんを早くからトレーニングしていると、「暗算が速くなり算数の成績がアップする」 と広告を打つ教室が結構あります。
けれども、かつての親が子弟にそろばんを習わせたのは、将来社会生活を営むうえで必要な技能を子供のうちから身につけさせるといった、実利性の高い目的がありました。

小学校のクラスでは、半分近くの同級生が近所のそろばん教室に通っていたと記憶しています。とくに女子はほとんどの子が、いちどは通った経験があると思われます。
私も2年生のとき親に勧められたのですが、嫌がって書道教室のほうを選びました。好きだった N.F. ちゃんもそろばんを習いに行っていましたが、それとこれとは話が別です。
そろばんの何が嫌で習字の何が良かった、などという積極的な動機はありません。強いてあげれば、そろばん教室はすぐ近所なのに対して、書道教室のほうは路面電車で3つ目の停留所のところにあったからです。
小学2年生にとっては、それだけでもちょっとした冒険になるからです。

「そろばんができないと仕事にならない」 ― これは当時ごく当たり前の感覚であって、とくに商売が発達した大阪ではその意識は強かったでしょう。
船場(せんば)の丼池(どぶいけ)商店街で、そろばん片手に値段交渉をしている商売人たちの姿は、中学・高校の頃でもよく見かけられました。
パチパチッと計算して、ササッと金額提示、絵に描いたような商人の風景でモタモタしていたら、たちどころに 「こいつアカンで」 という答えがはじき出されたに違いありません。
反応が速くないと、そろばんをガチャガチャと振られてご破算です。そんな風潮だったから、猫も杓子もそろばん教室という雰囲気が小学生にまで影響していました。

時代は高度経済成長期に向かっていて、庶民にとっても子供にお金をかけられる余裕が出てきていました。
そろばんや習字はいちばん安い月謝でした。その上が学習塾やオルガン教室で、もっと上にピアノとかバイオリンがありました。
いくつかを掛け持ちする同級生もいて、怠惰な私などは半ばあきれて見ていました。

図鑑や空想科学の読み物に耽っていた私は、「今に電子計算機が使えるようになるから、そろばんなんか使わなくなる」 と信じていました。
だから4年生か5年生の算数で、「しゅ算」 の単元があったのにはウンザリしました。
2桁の数字を3つ足す、といった程度の計算でさえ圧倒的な差をつけられ、あそこまでこてんぱんにビリをひいた経験は今だかつてそのときだけです。
科学少年が空想していたように、のちに電子卓上計算機が普及していなかったら、私の屈辱は今も続いていたはずです。
心底、カシオくんやシャープさんに感謝を捧げたいものです。

ただ、思うのですが、子供が実用性のある技能を身につける訓練を経験するいうのは、とても意味のあることでしょう。
その技能に長ずるのももちろんですが、実働する社会に対して目を向けることが子供の時分からできるようになることの意義が大きいと思われます。
そろばん教室に通った小学生たちに 「今やっている訓練は将来に活かせる」 といった目標があったかどうかはわかりませんが、少なくとも大人たちと同じことをしているという意識はあったでしょう。
そろばんをはじきながら商売をしたり、家計簿をつけたりしている親の背を見る視線は、今の子供たちとは違ったものであったと思われます。
そろばんという道具を通して、現実生活の営みを直視する機会が生まれたとしても不思議ではありません。

だとすれば、かつてのそろばん教室に代わる授業が受けられるのは、今はどこなのでしょうか。
それが簡単に思いつかないところに、教育と現実との溝の深さが現れているように思えてなりません。

http://www.youtube.com/watch?v=d9ym5ZbegVw
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