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廃語の風景⑲ ― 動くプラモ [廃語の風景]

横浜線・相原付近:撮影;織田哲也.jpg

「動くプラモ」 の対義語は 「動かないプラモ」 ということになります。
最近のプラモデルはスケールモデルと呼ばれる 「動かないプラモ」 が主流で、モータライズドモデル (動くやつ) はめっきり少数派になってしまっています。
戦車や自動車のプラモデルをマブチ・モーターで動かしてばかりいた私の子供の頃とは、様相が180度変わりました。
いつ、この逆転劇が起こったのか、私は知りません。

最後にプラモデルを自分で買ってきて作ったのは、1985年でした。
あまり先のことを考えずに出版社を退職して、仕事も少なかったので、暇つぶしにやってみたのです。
作ったのはトヨタのランドクルーザーと陸上自衛隊・74式戦車で、どちらも当然のようにモーターで動かすやつでした。
この頃はまだ、模型屋さんで売られている多くの商品が 「動くプラモ」 でした。

私の感覚ではたとえプラモでも、車は速くてスマートなものだし、戦車はキャタピラを軋ませてゆっくり走るものだし、船はスクリューを旋回させて水面を行くものです。
そんなに高くないプラモでも、駆動部分を組み立て、調整したりアブラをさしたりながら、メカを動かす楽しみを与えてくれたものです。
今、動くプラモといったらミニ4駆か、ぐっと値の張るラジコン系になってしまいます。
あとはみんな、綺麗に仕上げて飾っておくだけのものばかり。私からすると魅力は半分以下なのです。

リアリティの感じ方が、今と昔とではまるっきり違っているのかもしれません。
車を例にとると、実際の車は走るものだからプラモも走ってこそリアリティがある、というのが私の子供の頃の感覚でした。
今、スケールモデルに興味を持つ人は、実際の車のスタイルをいかに忠実に再現するかという観点で、リアリティを捉えているようです。
再現の精度という点では、今のプラモデルは昔日のものとは比較にならないくらい進化しています。
TVゲームなどのバーチャルな世界に子供の頃から慣れ親しんでいると、その反動で、よりリアルな再現性を追求したくなるためでしょうか。

小学生のとき、作ったゼロ戦に無理やり小型のモーターを取り付け、本来回転しないはずのプロペラを高速で回してみたことがありました。
それだけでは満足できなくて、今度はプロペラを裏返しにモーターの軸に取り付け、自分のほうに風がくるようにして悦に入っていました。
さすがのゼロ戦も、「扇風機」 に改造されようとは思っていなかったはずです。
そんなことをするとスケールモデルとしての価値は台無しですが、本人は 「オリジナルの工夫を加えた」 ことで得意になっていました。

私の暴挙はまだまだ続き、この 「扇風機」 の風力をさらに上げようと、電池を何本も直列につないだものです。
モーターが焼け切れることは最初から分かっていました。
分かっていながらそれをやってみたい、という衝動に勝てなかったのは、モーターが焼け切れるというリアリティを実感したかったからだと思います。
結果は予測通りでした。焦げたエナメル線の匂いがあたりに漂い、哀れなモーターは二度と動くことはありません。
夏休みの最後の夜に線香花火が消えてしまったときのような寂しさに襲われながらも、「何かを壊すことは次に何かを作るためのステップだ」 ということを、もしかしたら少年だった私は、本能的に感じていたのかもしれません。

http://www.youtube.com/watch?v=8r19N9PSsAo
子供の頃の私は、何に 「正直」 だったのだろうか…
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