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廃語の風景⑳ ― 牛乳配達 [廃語の風景]

下りE257西八王子通過:撮影;織田哲也.jpg

夏目漱石 『坊っちゃん』 で、まだ学生の主人公が母親に次いで父親も亡くしたとき、兄が家財産を片付けようと切り出す場面があります。
主人公は 「どうでもするがよかろう」 と答え、肌の合わない兄の世話になる気はないので、「牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした」 というくだりになっています。
実際は兄から600円を財産分与され、それを資金に3年間物理学校に通うことになるのですが、初めてここを読んだとき、「牛乳配達は明治時代からあったのだ」 と驚かされました。

1970年初頭まで、毎朝自宅に配達されるものには、新聞以外に牛乳もありました。
どちらも黒い自転車を利用して配られていましたが、牛乳配達のほうは荷台に積んだ木の箱の中でビンが躍り、ガチャガチャうるさい音を立てるのが特徴でした。
新聞は現在と同じように、郵便受けに投げ込まれました。牛乳はそうはいかないので、各家庭とも玄関先に木でできた専用の牛乳ボックスを設置していました。
中には180mlの牛乳ビン2本が入るようになっています。飲み終えたあとの空きビンも、このボックスを介して返却するシステムです。
たしか母親は、月極めの配達代金もそのボックスに入れて渡していたようなので、ずいぶん鷹揚(おうよう)な話です。

とはいえ、牛乳を盗む輩はいて、ウチも数回被害に遭いました。
2本とも持って行かれたわけではなく、1本をその場でこっそり飲んだのでしょう。空きビンがご丁寧にボックスに返却されていました。今から思えば、微笑ましい泥棒もいたものです。
その後、牛乳ビンはテトラパックに代わり、ほどなく配達自体が少なくなっていきました。
スーパーマーケットなどの商業施設が全国的に増えたこともあり、牛乳は配達されるものではなく、店頭に出向いて購入するものに変わったのです。
衛生状態が問題視されたのと同時に、泥棒だけでなく毒物を混入させるなどの犯罪が発生したことが、その理由でしょう。

私の子供の頃は、牛乳さえ飲んでいれば子供は健康に育つ、といった一種の 「牛乳神話」 がまかり通っていました。
戦後の学校給食は、児童の欠食対策という役割が大きな比重を占め、アメリカから援助された脱脂粉乳を湯にといた飲み物が支給されました。
この時代の影響は昭和30年代以降になっても残り、学校給食には牛乳がつきものでした。
それだけでは足りないと考えたか、給食のない大人たちにも必要と思われたのか、毎日1本の牛乳を飲む習慣は多くの日本人に支持されていたようです。
今では牛乳配達がまったくなくなったかと言えばそうでもないようで、「宅配」 という名で細々と残っています。
ご近所で契約しているご家庭もちらほらありますが、昔のように多くのお宅で、というわけではありません。

いま私は月に一度、循環器クリニックに通っていますが、そこの主治医は完全に 「乳製品否定派」 です。
「酒を飲むな」 とは言わず、「牛乳を飲むな」 と言うわけですから、私にとってはたいへん受け入れやすい食事指導です。
理由としては、乳製品を摂取することで脂肪分の蓄積が多くなるというものです。また日本人の消化器構造では、乳製品からカルシウムを吸収することが困難であるということも根拠のひとつです。
牛乳をたくさん消費する国で骨粗しょう症が多く、あまり消費しない国で少ない、という研究発表も見せられました。わが国では、学校給食が始まって以降、骨粗しょう症患者が発生し始めたそうです。
そうした指導がある関係上、私も日常的に乳製品を摂る習慣が今はありません。

とはいえ時間があるとき、たまに町田の 『ロテンガーデン』 に出かけたりするのですが、風呂上りにコーヒー牛乳を飲むのは楽しみのひとつです。
ビンから牛乳を飲むとき、人は必ず腰に手を当てます。これは私だけではなく、多くの人が裸でそれをやっているのを、この目で何度も確認しています。
その姿がいかにも健康的に見えることが、かつては 「牛乳神話」 の助長に役立っていたのかもしれません。

http://www.youtube.com/watch?v=gICWmKroNOE
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