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お互い様 [日々雑感]

485系魔改造『宴』:撮影;織田哲也.jpg

昨日の朝、あるTVチャンネルで 「車内のベビーカーは、持ち込んだ方が配慮すべきか、周りが配慮すべきか」 を論争するといった番組が流れていました。
その論点に対して、タレント数名が互いに主張を述べたり、FAXやメールで届いた視聴者の意見を紹介する番組進行のようでした。
私はあいにくちらと見ただけで、ほかのニュース番組に切り替えてしまったのですが、果たしてそのあとどんな論争になったのやら、少々気になっています。
第一、それが 「論争」 すべき問題なのかどうか、疑問に思っているからです。

日本語には 「お互い様」 という表現があります。
これには大きく分けて3つの意味があり、要約すれば ①「おあいこ、引き分け」、②「同じ状況にいる」、③「助け合い、相互扶助」 といったところです。
①と②の意味は外国語に翻訳することができますが、③の意味はそれに相当する用例を探すのが非常に困難と言われているようです。
例えば英語では、次のように言うことができます。

You play dirty. (お前、ずるいぞ)
- You are another. (お前も同じようなもの=お互い様だよ)

We are in the same boat. (私たちは同じ船に乗っている=お互い様の運命)

③の意味は、日本人独特のメンタリティーに帰するところが大きいのでしょう。
私たちは互いに迷惑をかけあって生きている、だから寛容に許しあいましょう、といった庇い合い精神があってこそ、この意味が生きてくるのだと思われます。

(チームメートの会話)
A:俺がエラーしたのをみんなでカバーしてもらって助かったよ。
B:なあに、エラーは誰でもするもの、お互い様だよ。

(夫婦の会話)
妻:悪いわね、掃除を全部まかせちゃって。
夫:君こそいつも料理を作ってくれるじゃないか。お互い様だよ。

最初の問題に戻ると、電車の中にベビーカーを持ちこむのは、朝夕のラッシュ時はさすがに非常識ですが、そうでない時間帯にならさほどの迷惑行為とも思えません。
自分も知らず知らずほかの部分で周りに迷惑をかけていることだってあるし、将来年をとってからはもっと周囲に気を遣わせるようになるかもしれないわけです。
「お互い様」 という言葉は、どれだけ人生を長いスパンで捉えられるか、どれだけ互いの存在を受け入れられるかという 「心の器」 の大きさと、深い関係にあるものだと思います。
目先の気に入らない状況や自分が受けるちょっとした迷惑、他人との優劣・勝ち負けに心を囚われることは、却って自分の世界を狭くし、自ら器量を小さくしているだけではないでしょうか。

「でも、心の狭いギスギスした人が増えてきたかもしれない」 ― ついそう感じてしまうのが年齢を重ねたせいの勝手な思い込みであるならば、それはそれで結構な話です。
先に紹介した番組内でどんな話し合いになったかは、続きを見なかったのでわかりません。
しかし、もし看板通りに 「大激論」 にでもなっていたとしたら、そのことのほうが大問題だと思えるのですが、如何なものでしょうか。

http://www.youtube.com/watch?v=uPEUY_gYXEA
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