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少年の夏 [日々雑感]

立川行き115系長野色:撮影;織田哲也.jpg

子供の頃、夏休みといえば、母方のおばあちゃんちに2~3週間泊まりにいっていたのを思い出します。
最初に行ったのが小学校の4年生、最後の年は中学3年生だったと記憶しています。
夏休みに入るとすぐに、小学校では林間学校、中学では臨海学校の行事があり、部活動や試合などで7月いっぱいはそれなりに忙しく過ごしました。
8月に入ると、本格的に長い夏休みが始まります。
自宅で過ごすより、おばあちゃんちで過ごす時間のほうが、8月は長かったでしょう。

おばあちゃんちに行くには鶴橋から近鉄奈良線に乗り、各停しか止まらない生駒山の麓(ふもと)の駅で下車します。
駅を降りると、左手には大阪平野のごみごみした街並が見渡せ、右手には大きな神社があります。
放水路に沿ってくねくねと細い路地を下りると、5分ほどでその小さな家に着きました。

家は小さいのですがやたらと天井が高く、明り取りの窓が、子供の目には遠いところで光って見えました。
座敷のいちばん奥には作り付けの仏壇があり、そのようなもののない家庭に育っていた私には、線香の匂いたつその一角だけが、妙に重々しいワンダーランドに感じました。
座敷に寝転がると、放水路をざあざあと流れる水音が、昼も夜も耳について離れません。
目に映るものも、生活環境の音も、漂う空気の匂いも、食べ物の味付けも、全部自分の家とは違っていて、子供心に「コレガ夏休ミノ風景ナンダ」としみじみ感じたことを覚えています。

2日もごろごろしていると、何かしたい、どこかへ行きたい気持ちが湧きあがってきます。
母親が持たせてくれたお小遣いでプラモデルを買ったり、貸本屋で普段は読めないようなマンガ本を借りてきたりし始めました。
プラモデルはたいしたものが売っていなかったのですが、貸本マンガはとても興味をそそられるものばかりで、結構長い時間を読書にかけていました。
後から知ったことですが、大阪は貸本マンガ文化が最も成熟した地域です。
貸本屋の棚には、恐怖ものの楳図 かずお氏や水木しげる氏、サスペンスもののさいとうたかお氏、永島慎二氏などの作品がぎっしり並んでいました。
それらの本は一様に表紙が擦り切れていて、祖母は「そんな汚い本はやめなさい」としきりに言っていました。
けれども、少年マガジンやサンデーの読者であった私は、擦り切れて手垢のいっぱいついたマンガの、おどろおどろしさと一種のエロティシズムにすっかり感化されてしまっていました。

最初に泊まりにいった夏、上がり框(がまち)に面した座敷で昼寝をしていると、なんと虚無僧(こむそう)が入ってきて尺八を吹きだしたので、飛び上がったことがありました。
当時の大阪で育つと、京都や奈良が近いこともあり、山伏が電車に乗っていてもたいして驚かなくなっています。
が、さすがに、黒づくめの着物に円筒形の編み笠をかぶった虚無僧は時代劇の中でしか見たことがありません。
私が後ずさりして引きつっていると、祖母は取り乱すわけでもなく、いくばくかの小銭を首から下げた袋に入れてやっていました。そうすると虚無僧は、尺八を吹きながら出ていきました。
「あれ、虚無僧やろ?」と聞くと、祖母は「そうや」と頷いたあとで、「お金もらいに来やんねん」と言っていました。

家のいちばん奥には台所があり、そこから勝手口を出ると裏手に出ました。
そこには2~3軒の家で共同に使っている井戸があり、洗濯用の水として使われていました。
私が泊まりに行くとその井戸の中に西瓜を沈め、夕方ごろ冷えたのを食べさせてくれました。
家の裏手に腰かけて西瓜にかじりついていると、赤トンボが頭の上を飛び交い、茜色の雲はゆったりと流れていきました。

長い長い時間が過ぎて、明日両親のもとに帰るという日に、祖母は必ず塩昆布を炊いていました。次の日、私に持たせるためです。
その日は一日中、昆布を醤油で煮詰める香ばしい匂いが家の中にも外にも漂っていました。
それは、もうすぐ夏休みが終わることを私に告げる匂いとして、今でも鮮明に思い出すことができます。

高校1年生のとき、この祖母は亡くなりました。
それ以来、おばあちゃんちには泊まったことがありません。今ではその家もなくなりました。
少年の日の夏の香りは、記憶の中にだけ存在しています。
「俺はおばあちゃんに、何かしてやれたかなあ…」
たいしたことは何もしてあげられなかったことは分かり切っているのに、時々そんなふうに呟いたりするのは、よほど自分勝手に生きてしまった少年時代を悔いているか、さもなくば過去へのアリバイ作りに気持ちが掻き立てられてしまうからではないでしょうか。

http://www.youtube.com/watch?v=GsfM1ygNGvM
本当はオリジナルの JITTERIN' JINN ので出したかったのですが…

もの忘れ [日々雑感]

藤野にて:撮影;織田哲也.jpg

ふとした瞬間に、「ああ俺も、もの忘れするようになったなあ…」と思うことがあります。

特に今日のもの忘れは、ひどいものです。
というのも、今日8月31日は、私にとって人生最大の節目の記念日なのです。
ところが、それが何の日だったか、思い出せないのです。
大事な記念日を忘れるなんてアホかいな、と思われるかもしれませんが、本当にそうなのですからとても困っています。
親父の命日でもなければ、結婚記念日でもないし、何か事業を起こした日でもなし。

つくづく、歳をとることが恨めしくてなりません。
そもそも、なんで人は1年ごとに1つずつ歳をとらなきゃならんのでしょうか…。

http://www.youtube.com/watch?v=XHFWqk08tNY

夏(7・8月)の季語から [日々雑感]

215系・大月駅にて:撮影;織田哲也.jpg

閑(しず)かさや 岩にしみ入る 蝉の声 (松尾芭蕉)
やれ打つな 蠅が手をすり 足をする (小林一茶)
たたかれて 昼の蚊をはく 木魚かな (夏目漱石)

夏には虫がつきものです。
冒頭に挙げた3人の著名な俳人も、小さな生命のふとした仕草に、句を通じて微笑ましい愛情を向けていることがわかります。
漱石の句は、昼下がりのお寺でお坊さんが木魚をたたきだした。すると暑さを避けて木魚の中に潜んでいた蚊が驚いて飛び出したという情景を詠んだものであり、昼の蚊を木魚が「はく」という擬人法がとてもユーモラスな味わいを教えてくれます。

夏の虫では、「兜虫」「玉虫」「髪切虫」といったあたりが7月の、「蝉時雨(せみしぐれ)」「蜩(ひぐらし)」「法師蝉(ほうしぜみ=ツクツクボウシ)」「赤蜻蛉(あかとんぼ)」などが8月の季語に分けられています。
「蝉時雨」は大勢の蝉が一斉に鳴く様子を表した言葉。もともと「時雨」とは、秋から冬にかけて強い雨が一時的に降ったりやんだりする現象を表した言葉ですが、その激しい音と併せて「蝉」を冠することで、夏の代表的な季語となっています。

汗を吹く 茶屋の松風 蝉時雨 (正岡子規)
秋風に ふえてはへるや 法師蝉 (高浜虚子)

夏は祭の季節でもあります。
盂蘭盆(うらぼん)や七夕にちなんだ行事であることが多い一方、農村部では農事暦に由来するもの、都市部では疫病封じに由来するものなど、その意味合いは多種多様です。
7月には「祇園祭」「野馬追祭」と並んで、「朝顔市」「虫送り」「四万六千日(しまんろくせんにち)」がエントリーされています。
「四万六千日」というのは、浅草寺のほおずき市の日に詣でると、その1日の御利益が4万6千日分に値するとの言われからきています。
8月の祭は、「ねぷた」「花笠」「竿灯祭」に「天の川」「星祭」「盆」「大文字」「送り火」「走馬灯」などがあわさって、盛りの季節の背中を見送る風情にも溢れています。

ゆくもまた かへるも 祇園囃子(ぎおんばやし)の中 (橋本多佳子)
燃えさかり 筆太となる 大文字 (山口誓子)
走馬灯 みたりがおもひ めぐりけり (久保田万太郎)

旬の食べ物に目を向けると、「赤魚」「あわび」「うなぎ」「かんぱち」「すずき」「車えび」「蛸」「どじょう」「うに」など、寿司ネタになる魚介類の多いことに驚かされます。
意外なことに「鮨(すし)」が夏の季語として歳時記には載っています。
この季節、生ものは腐りやすいのになぜだろうと調べてみると、これは琵琶湖周辺で有名な「鮒鮨(ふなずし)」を表していることを知りました。
「鮨」の語源は「酢」。塩漬けにした鮒(ふな)に米飯をつめ、夏の暑さを利用して米の発酵で酸味を加える「なれずし」は、生鮮食品の保存法の原点ともいえる技術です。
意外、という点では、「甘酒」が夏の季語ということも引けをとりません。
米麹を発酵させて作る甘酒は、アミノ酸と天然吸収ビタミンを多く含むので、夏バテ対策の栄養ドリンクとして効果があります。事実、江戸時代には、天秤棒を担いで甘酒を売り歩く商売があったということですから、それが庶民生活に浸透していたと想像することは困難ではありません。
日本の発酵文化の奥深さを、歳時記をめくりながらあらためて認識させられます。

鮒鮨や 彦根の城に 雲かかる (与謝蕪村)

吉田兼好師は『徒然草』のなかで、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる(第五十五段)」と著しています。
言い換えれば、「冬の寒さは何とでもやりすごせるが、夏の暮らし向きには心配りが必要だ」ということになります。
そんな生活の工夫は、「冷奴」「心太(ところてん)」など食にまつわることから、「打ち水」「夏座敷」「日傘」「浴衣」といった衣・住のうえでの季語にも表されています。
「風鈴」「噴水」「花火」「納涼船」「行水」など、今で言うレジャーに関わる語も含まれていますから、夏の過ごしようが庶民の生活にとっていかに重大なテーマだったかを伺い知ることができます。

浴衣着て 少女の乳房 高からず (高浜虚子)
風鈴の 荷に川風や 橋の上 (水原秋櫻子)
水打てば 御城下町の にほひかな (芥川龍之介)

遠雷が次第に近づき、今にも涼しげに夕立が来るかと思えばさして降らず、
その一方で突然のゲリラ豪雨に、脆弱な雨水対策が浮き彫りとなる…。
どこか歪んだ都会暮らし。アスファルトから立ち上る陽炎を、お天道様はどのようにご覧になっていることやら、思いを馳せながらよろめき歩くも、今年の夏はまだまだ続いていきます。

停車場に 雷を怖るる 夜の人 (河東碧梧桐)
夏痩は 野に伏し山に 寐(ね)る身哉 (正岡子規)


夕立を 祈リ佇(たたず)む 野の仏
送り火の 名残りの風や 小雨ふる
街の灯火(あかり) なぜに生き急(せ)く 夜の蝉

http://www.youtube.com/watch?v=axsoLohidCs

液晶モニタに二日酔い [日々雑感]

183系ホリデー快速河口湖:撮影;織田哲也.jpg

じぇじぇじぇぇぇ!
前回の更新から、実に2か月近くもブランクが空いてしまいました。
本業で書くものが多くて、こっちに回すエネルギーが足りなかった…。それが理由といえば理由ですが、少しニュアンスが違います。
本業以外でデスクの前に鎮座してキーボードを叩くという作業が、とても耐えられなかったのです。
PC環境に囲まれ完全に中毒していたわけで、そこにこの暑さが加わったことで、さらに症状が悪化。少しでも時間があったら、モニタが目に入らないところに身を遠ざける習慣がついていました。

だからこの間は、TVもDVDもなるべく視ないようにしていました。液晶画面の前にいる時間を、必要最低限にしたかったからです。
普段はPCについているプレイヤーを使って音楽を聴いていますが、それも避け、モニタなどないCDプレイヤーを使用しました。
本を読む時間がとれたのは、まあ良かったと言えるでしょう。何年かぶりにギターに新しい絃を張って弾くといったこともしてみました。
プラモデルのひとつも作ってみたい気分ですが、今のところ実現していません。鉄道写真の撮影旅行、いやいや目的を持たないぶらり旅、うわぁ行きたいなあ…。

たまに町田のロテンガーデンに出向いて、温泉につかりながら空を見上げていると、俺は本当はデジタルな生活が嫌いなんだろうなという思いが、ふつふつと湧いてきます。
いくら忙しいといっても自由な時間がまったくなかったわけではなく、またブログに書きたいネタはそれなりにあったのに、キーボードに拒絶反応を起こしてしまう。
もちろん本業ではPCスキルも芸のうちですから、意識を集中して構築した環境をフルに生かす、それは当たり前にこなしています。
でも究極のところでは、ちょうどお酒を飲んで楽しく話したり、物思いにふけることは好きなんだけれど、本当は心の底でそんな酒飲みの自分を嫌っているというか、それに近い感じもするのです。

ともあれ少し回復したので、やっとブログを更新することができました。
お盆の間に、まとまったことが書ければいいなと思っています。

http://www.youtube.com/watch?v=MQWnQKR35EI
Yoshitaka Minami

 [日々雑感]

ロクヨン@甲府:撮影;織田哲也.jpg

雨が小やみになった朝、ベランダに出てアシナガバチの観察をしていると、さっそく蚊に脚を刺されました。
私はたいへん蚊に好まれる体質を患っています。
ある部屋に私を含めて5人くらいの成人が入り、そこに血に飢えたメスの蚊を1匹放ったとすると、どうなるか。
おそらくほかの4人は無傷で、私だけが2か所も喰われる結果となるでしょう。
もちろんそんな実験はしていませんが、それくらい蚊にだけはモテてモテて仕方がないのです。

蚊に刺されやすい人の特徴は、いくつか報告されています。が、自分にはそんなに当てはまっていないように思えます。
「血液型がO型の人」 : なんでも O>B>AB>A の順で刺されやすいそうですが、私は最低ランクのA型であります。
「体温の高い人」 : むしろ低いほうです。呼吸数も多くありません。
「太っている人」 : 178cm で 75kg は、太っているというほどじゃないでしょう。
「汗っかきの人」 : 昔ほどではありません。年齢とともにカサカサ肌になってきています。
「酸性体質の人」 : そりゃ肉好きですが、酸性体質かどうかは調べようがありません。
「足の臭い人」 : 今朝はシャワーした直後でしたぜ。
「香水を吹きかけている人」 : だからシャワー直後だって。
「飲酒中の人」 : 朝から飲みますかいな。
「妊娠している人」 : なんでやねん。
ことほど左様に、アテにならない情報ばかりです。

以前、プレステ2のゲームで、その名もまさに 『蚊』 というのがありました。
プレイヤーは山田家という家庭に住みついた1匹の蚊になり、殺虫剤や人間とのバトルを克服しながら、より多くの血を吸っていくというゲームです。
私はプレイ中の動画を見たことがあります。
戦闘機バトルゲームに似ていますが、敵はホットパンツでお昼寝中のお嬢さんだったり、アタマに蚊取り線香をのせたステテコ姿のオヤジだったりします。
結構おもしろそうでしたが、わざわざお金を出して蚊になる必要もなかったので買いませんでした。

それにしても、私が子供の頃から比べると、蚊はめっきり少なくなっています。
蠅に至っては、夏になっても姿を見かけることがほとんどなくなりました。

蚊が少なくなったのは、街なかから 「どぶ」 の減ったことが大きな理由だそうです。蠅はおそらく、トイレが水洗化されたことが最大の原因でしょう。
蚊は、熱帯ではマラリア原虫を媒介しますが、まず日本では考えられません。血を吸われたら痒いというだけです。
蠅のほうは汚物との接触が多く、細菌や寄生虫を運んでくるので、明らかに衛生害虫です。
だから 『蚊』 というゲームはあっても、『蠅』 というのはありません。たとえゲームとはいえ、プレイヤーの分身が雲古にたかるシーンなど見たくもないでしょう。

私は室内で蚊取り線香を焚いたり、電子蚊取り器や殺虫剤を使う習慣がありません。
蚊に対処するには、手の平でツブすという原始的な手段だけです。
たいていは手足にとまられて血を吸われていることに気づいたとき、はじめて一撃を加えます。敵は即死ですが、勝ったほうもあとで猛烈な痒みに悩まされる羽目になります。
私は蚊の唾液にはアレルギーが強いらしく、刺されたあとが大きく膨らみます。
眠っている間に瞼を集中的に刺され、起きて鏡を見たらお岩さんになっていたこともありました。

そんな季節の訪れを告げる今朝の蚊の痕は、今でもはっきりと腫れています。
緊張の夏、日本の夏。ニャロメ!

http://www.youtube.com/watch?v=t3jQOh3iVZI

六月の季語から [日々雑感]

大宮行快速『むさしの号』:撮影;織田哲也.jpg

6月は別名 『水無月』。
雨が降るのに水無月とはどういうことか? 「それはな、旧暦の6月は新暦の7月に相当するからやで」 と、国語のウエノ先生は仰ったのです。
6月も5月に引き続き、旧暦と新暦の狭間にあって、さまさまな季語が飛び交います。
「常夏月」 などと呼ばれる一方で、「入梅」 とあるなどその典型です。

梅雨(つゆ)にもいろいろありまして、「走り梅雨」 は梅雨本番に先立って雨がぐずぐず降り続く状態をいいます。
「空(から)梅雨」 は、梅雨の間にほとんど雨が降らない状態を指していい、夏に向けて水不足が心配されます。
「青梅雨」 というのもあって、新緑の葉に降り注ぐ雨を美しく表現した季語です。

睡蓮の池 まづ梅雨に 入りにけり (久保田万太郎)
落書の 顔の大きく 梅雨の塀 (河東碧梧桐)

「夏至」 ともなれば衣替えの時期。
「夏衣(なつころも)」 「単衣(ひとえ)」 あるいは 「網戸」 といった言葉から、高温多湿の季節を迎える暮らし向きがうかがわれます。
「早苗」 「代掻き」 「田植え」 などは農事暦そのものです。
「川狩」 「夜釣」 「夜焚(よたき)」 「夜振(よぶり)」 は漁法にまつわる季語。
「夜焚」 「夜振」 はともに松明(たいまつ)やカンテラなどの光で魚を集めるのですが、「夜焚」 はおもに海魚、「夜振」 はおもに川魚の漁法です。

しなのぢや 山の上にも 田植笠 (小林一茶)
雨後の月 誰ぞや夜ぶりの 脛(はぎ)白き (与謝蕪村)

田植えの時期ともなれば、脇にはカエルの姿がつきもの。
「青蛙」 「雨蛙」 「蝦蟇(がま)」「蟇(ひきがえる)」 みんなこの月の季語におさまっています。
また、鳥が季語になっているのも、6月の特徴です。
「岩燕」 「夏燕」 「仏法僧」 「筒鳥」 「駒鳥」 「鵜(う)」 「夜鷹」 「夏鴨」 「時鳥(ほととぎす)」 と、少し探しただけでこれだけ見つかりました。
「閑古鳥」 もあります。「梅雨の長雨で、劇場や映画館はどこも客足が悪いのか…」 と勘繰るのは間違い。「閑古鳥」 はカッコウのこと。
どの鳥も、巣から新しい生命が羽ばたいていく時期なのです。

雨蛙 不思議に酒の 飲める夜や (大野林火)
淋しさは 闇人にこそ かんこどり (加賀千代女)

「花菖蒲」 「あやめ」 「くちなし」 「鈴蘭」 「紫陽花(あじさい)」 といった花も、梅雨を彩る主役です。

菖蒲剪(き)るや 遠く浮きたる 葉一つ (高浜虚子)
思ひ出して 又紫陽花の 染めかふる (正岡子規)

「五月雨(さみだれ)」 が梅雨の長雨、「五月晴れ」 が長雨の合間の晴れ間を指すということは、以前にも書きました。
「五月闇(さつきやみ)」 は、五月雨の降る頃の夜が暗いことを表します。
都会の明るい夜はそんな言葉などどこ吹く風かと思いきや、節電のために街灯を落とした公園などを歩いていると、その闇にふと心が惹きつけられたりします。
ここ数日、東京では深夜に少しまとまった雨が降りました。
夏の明るさの中に飛び込んでいく前に、暗さを楽しめる季節になるよう、自ら機会を求めていきたいものです。

五月雨や 桶の輪きるる 夜の声 (松尾芭蕉)
夏の川 汽車の車輪の 下に鳴る (山口誓子)


紫陽花の色 日替わるや 朝の雨
歩を止めて ただ雨音の 五月闇


http://www.youtube.com/watch?v=Kt8aFHZdGG4

霉雨(メイユー) [日々雑感]

215系@甲府:撮影;織田哲也.jpg

ずいぶん長い間、更新できていませんでした。
さまざまな理由があったわけですが、それにしても6月に入って初めての記事とは、自分でも驚きです。
今日のテーマにした 「霉雨(メイユー)」 とは 「梅雨(メイユー)」 と同じ発音の中国語で、「霉」 はカビを意味します。
このブログにもカビが生え始めてきたのかもしれません。

6年ほど前に最初のブログを立ち上げたときは、公開から1カ月もしない間に妙な本気モードに陥って、長広舌まるだしの日々が続いてしまいました。
書きたいことが山ほどあったのも事実ですが、さすがに数か月もたつとネタの鮮度が落ち、自分ではあまり深く考えていないことでも大袈裟に表現するようになったわけです。
息抜きにするつもりが、わざわざ自己疎外を引き起こす原因になったので、アホらしくなってやめました。
今回のブログはもっと気楽にと思っていて、実際に半年以上、あまり無理せずにやってきました。それでも時々は、「本気モード出してるなあ」 と、恥じて頭をかくこともあります。
今はそれが 「時々」 だからいいようなものの、これ以上頻度を高めないようにしなければなりません。

幸い、書きたい小ネタはいっぱいあるので、その点は安心です。
あとは 「ものを書く」 という姿勢に濃淡をつける話です。
とりとめもない日記に多少の読者がついていてくださるのは本当に有り難く嬉しいことですが、だからといってヘビー・ブロガーになろうという気はさらさらありません。

― つれづれなるままに、日暮らし硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆく由なしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂ほしけれ。 (『徒然草』 序段)

そんなふうに始めたブログですから、細く長く軽い足取りで続けたいもの。
それがもし上手にできなくなっているとしたら、カビが生えているのはブログではなく、私のアタマのほうだということになるのでしょうね。

http://www.youtube.com/watch?v=Kt23QlumlvY
1973年リリース。TV-CMにも使われました。

禍福(かふく)妄言録 [日々雑感]

115とE351:撮影;織田哲也.jpg

中学生の頃、日曜日の朝といえば 『兼高かおる世界の旅』 でした。
ツーリストライター・兼高かおるさんが、世界のあちこちを旅してまわる紀行番組で、今ではよくある旅番組のご先祖みたいなものです。
調べてみるとこれは、1959年から1990年にかけて TBS 系列で放映され、じつに30年にもおよぶ長寿番組だったことがわかりました。
兼高さんは私の母親と同年齢で、世界150カ国以上を訪れた経験があるそうです。
私が番組を見ていたころ彼女は40歳前後のようですが、80歳をゆうに越えた現在も取材に飛び回っておられるとか。いやはやタフなおばあちゃんです。

中学生の私は 「こんなふうに世界各国を旅しながら過ごせる人生って、なんと幸福なのだろう」 と憧れる一方、「どうやって旅行費用を捻出しているのだろう、旅行ばっかりしていたら仕事でお金を稼ぐ時間がないじゃないか」 と、よけいな心配をしていました。
今でこそスポンサーの存在やら、スポンサーを説得するための企画のプレゼン、などという大人の事情を理解していますが、純朴だった当時はそんなところにアタマの回る余裕などなかったのです。
『少年ジャンプ』 に連載されていた 『すごいよマサルさん』 というマンガの中で、ヘンな主人公マサルの将来の夢が 「旅人」 だと知り、あ、作者のうすた京介も 『兼高かおる世界の旅』 に憧れたはずだ、と一人で納得したものです。

大学生の頃、ふと目にした少女マンガに中世の吟遊詩人が登場し、貴族の奥方と大恋愛に陥るシーンがありました。
吟遊詩人は10世紀から15世紀のヨーロッパに現れ、自分で詩や曲を作り、各地を放浪しながら歌い歩いていた人。言ってみれば一種のシンガー・ソングライターです。
身分の低い者もいましたが、王侯貴族の一部の変わり者が他の貴族や騎士の宮殿を訪ねてまわるケースも結構ありました。
詩曲の内容は、神話や各地の紀行・伝説、英雄たちの武勇伝などさまざまです。
とりわけ身分の高い奥様方にウケたのは恋物語や女性への賛美だったそうで、そのあたりから、ついついイケナイ関係に発展したりしたのでしょう。
旦那が戦に出かけている間に、お気に入りの吟遊詩人を寝室に引き入れて一夜を過ごしたところ、翌朝ふいに旦那が帰ってきてそれを発見し決闘になってしまった、などといった話も稀ではなかったようです。
なにやら最近の芸能ニュースみたいで、人類の進歩もあやふやなものだとわかります。

中世の吟遊詩人にとって、いかに宮殿内でスポンサーを見つけるかが命綱でした。
そのため貴族や騎士の奥様方のご機嫌をとり、心にもない讃辞を贈り、欲望を満たすお手伝いをしなければなりませんでした。
シンガー・ソングライター以外に、ホスト的才能もなければ、務まらなかったわけです。
「王侯貴族や騎士の間では、ホモ、レズ、サド、マゾ、夫婦交換、乱交、フェチ、スカトロ、幼児愛好など、あらゆる変態行為が流行していたんだぞ」 大学時代の先輩が教えてくれました。
「変態性癖を持った奥方のお相手をさせられたのが吟遊詩人や音楽家、芸人たち。見た目は優雅でも、スポンサーの要求に辟易したこともままあったんじゃないかな」
さすがにこういうことまでは、少女マンガのネタにはできなかったでしょう。
ちなみにこの先輩は、中世ヨーロッパの男色文化に興味を持って研究していた人でした。

自分は兼高かおるさんになれなかったのは残念ですが、吟遊詩人になれなかったことは本当によかった。
「禍福は糾(あざな)える縄の如し」 というのは、まさにこういうことを言うのですね。
(違うわっ!)

http://www.youtube.com/watch?v=EA46jZD6ZM0

「禍福は糾える縄の如し」 : 「禍福」 とは災いと幸福、「糾う」 はより合わせること。人間の幸不幸はより合わせた一本の縄のように表裏をなしていて、予測できないものだ。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりすることのたとえ。

検索ワードの不思議 [日々雑感]

下りE257相模湖駅通過:撮影;織田哲也.jpg

このブログは、ソネットエンタテイメントという会社が提供しているサービスを利用して公開しています。
そのサービスの一環で 「アクセス解析」 の結果がグラフ表示され、管理者にわかるようになっています。
解析項目としては、「ページ別(訪問者数)」 「時間別(訪問者数)」 「(訪問者が経由した)検索エンジン」 「(ヒットした)検索ワード」 などがあります。
興味があるので、私もブログを更新するたびに覗いています。
なお、「訪問者のIP表示」 機能は提供されていません、為念。

「検索ワード」 をチェックしているとときどき傑作なのもあって、少し前に 「ジャイアンの歌声でカラスが逃げる」 というのがありました。いったいこの人は何を調べたかったのでありましょうや?
以前 「ジャイアンはレッド・ツェッペリンのファンである。その証拠に着ている Tシャツにロゴが入っている」 といった旨の記事を書いたので、そこにヒットしたのだと思われます。
こういう心当たりがあるぶんにはいいのですが、昨日の検索ワードには本当に、首を捻るしかありませんでした。
それは 「ブラジャーを忘れた高校生」 というものです。

私が実際にそのワードで検索をかけてみると、あるTV番組にブラジャーをつけ忘れて登校し、体育の時間にセロテープを貼って臨んだという体験を告白した高校生が登場、その女の子がたいへん可愛かったという他愛のない内容とわかりました。
わからないのは、どうしてその検索ワードでこのブログがヒットしたかということです。

サイト内検索をかけてみると、このブログにはかつて一度も 「ブラジャー」 は出てきませんでした。そりゃそうです、今日はじめてここに書いた単語ですから。
「高校生」 のほうは何度も出てきますが、そんな一般的な名詞でこんなマイナーなサイトが、google や yahoo の上位にランクされるとは思えません。

わずかに残る可能性としては、次の4点が思いつきます。

1.以前、かつては電車の中で赤ちゃんに授乳しているお母さんもいた、というエピソードで 『鉄道とおっぱい』 という記事を書いた。
2.女性の下穿きを 「ぱんちー」 と記したことがある。
3.昨日の記事で、ブローニングm1910という拳銃のことを、「ルパン三世の峰不二子がガーターベルトに仕込んでいるヤツ」 と紹介した。
4.「ブラジャー」 はないが、ブランデー、ブラジル、ブラック、ブラつく、ブラ下げるなどの 「ブラ」 語は何度も登場する。

無理やり考えればこんなところです。どれも根拠としては薄い話でしょう。

「ブラジャーを忘れた高校生」 のお客様、どこをどう通ってウチに辿り着かれたのか、ぜひとも教えていただけませんでしょうか?

http://www.youtube.com/watch?v=_X99qt2_JcM
驚きました。小粋なバーでかかっていてもおかしくない編曲。

夕焼け小焼けの里 [日々雑感]

回送@八王子駅・ホリデー快速:撮影;織田哲也.jpg

久しぶりですが、西の空に夕焼けを見ました。
都心の無機質な高層から眺める武蔵野は、何故かいつも怠け心を起こさせる風が吹いているようで、
その先に霞む多摩の山々ときた日には、
おお、いつか自分も疲れて枯れて、没するところがあそこなんだなあ、と涙がチョチョ切れる思いさえする今日このごろなのでございます。

私が居を構える八王子市にあって、恩方と呼ばれる地区は 『夕焼け小焼けふれあいの里』 とされており、名曲 『夕焼け小焼け(作詞:中村雨紅)』 の舞台となっています。
古(いにしえ)より、西方は “お浄土” のある地と信じられています。
みんな日が落ちるのを待って、お手々つないで帰るのです。
カラスと一緒に、西の方角へと帰って行くのです。

移り変わりの激しい情報の世界に身を置いていることが突然恐ろしくなるのは、今日のような夕日を眺めている瞬間です。
大きなものを見ていると死にたくなるが、小さなものを見ていると生きていてもいいかもしれないと思う ― これは故・安部公房氏が著書 『箱男』 の中で展開されていたモチーフのひとつです。
大河を思わせる大きな時代の流れと小さな幸不幸の狭間で、人は呼吸し、血液を循環させ、善意と欲望とを天秤にかけながら生きているものですね。
ガラス越しの陽光を浴びた自分の影を見て、つくづくそう感じます。
なんと言うか、いい歳こいて心の置き場をまだ定められずにいることの恥ずかしさを、陽の当たるところ曝け出された感じがして、血管の中に虫が生息しているような錯覚に陥ります。
そんなだから、夕日を見たら本当は 「ありがとう!」 と叫びたいのに、なぜか 「バカヤロウ!」 と叫んでしまっちゃうわけなのでしょう。

こんなこと書いていいんだっけ。まあいいよね、日記なんだから。
今夜のお酒は、ボンベイサファイア・ベースのギブソンとギムレットです。
お付き合い頂けるのなら、独りぼっちのあなたも、是非。

http://www.youtube.com/watch?v=dj5tMiO4SFc

お互い様 [日々雑感]

485系魔改造『宴』:撮影;織田哲也.jpg

昨日の朝、あるTVチャンネルで 「車内のベビーカーは、持ち込んだ方が配慮すべきか、周りが配慮すべきか」 を論争するといった番組が流れていました。
その論点に対して、タレント数名が互いに主張を述べたり、FAXやメールで届いた視聴者の意見を紹介する番組進行のようでした。
私はあいにくちらと見ただけで、ほかのニュース番組に切り替えてしまったのですが、果たしてそのあとどんな論争になったのやら、少々気になっています。
第一、それが 「論争」 すべき問題なのかどうか、疑問に思っているからです。

日本語には 「お互い様」 という表現があります。
これには大きく分けて3つの意味があり、要約すれば ①「おあいこ、引き分け」、②「同じ状況にいる」、③「助け合い、相互扶助」 といったところです。
①と②の意味は外国語に翻訳することができますが、③の意味はそれに相当する用例を探すのが非常に困難と言われているようです。
例えば英語では、次のように言うことができます。

You play dirty. (お前、ずるいぞ)
- You are another. (お前も同じようなもの=お互い様だよ)

We are in the same boat. (私たちは同じ船に乗っている=お互い様の運命)

③の意味は、日本人独特のメンタリティーに帰するところが大きいのでしょう。
私たちは互いに迷惑をかけあって生きている、だから寛容に許しあいましょう、といった庇い合い精神があってこそ、この意味が生きてくるのだと思われます。

(チームメートの会話)
A:俺がエラーしたのをみんなでカバーしてもらって助かったよ。
B:なあに、エラーは誰でもするもの、お互い様だよ。

(夫婦の会話)
妻:悪いわね、掃除を全部まかせちゃって。
夫:君こそいつも料理を作ってくれるじゃないか。お互い様だよ。

最初の問題に戻ると、電車の中にベビーカーを持ちこむのは、朝夕のラッシュ時はさすがに非常識ですが、そうでない時間帯にならさほどの迷惑行為とも思えません。
自分も知らず知らずほかの部分で周りに迷惑をかけていることだってあるし、将来年をとってからはもっと周囲に気を遣わせるようになるかもしれないわけです。
「お互い様」 という言葉は、どれだけ人生を長いスパンで捉えられるか、どれだけ互いの存在を受け入れられるかという 「心の器」 の大きさと、深い関係にあるものだと思います。
目先の気に入らない状況や自分が受けるちょっとした迷惑、他人との優劣・勝ち負けに心を囚われることは、却って自分の世界を狭くし、自ら器量を小さくしているだけではないでしょうか。

「でも、心の狭いギスギスした人が増えてきたかもしれない」 ― ついそう感じてしまうのが年齢を重ねたせいの勝手な思い込みであるならば、それはそれで結構な話です。
先に紹介した番組内でどんな話し合いになったかは、続きを見なかったのでわかりません。
しかし、もし看板通りに 「大激論」 にでもなっていたとしたら、そのことのほうが大問題だと思えるのですが、如何なものでしょうか。

http://www.youtube.com/watch?v=uPEUY_gYXEA

子供の領域 [日々雑感]

ホリデー快速・河口湖:撮影;織田哲也.jpg

昔、朝日新聞に 『小さな目』 というコラム記事があって、毎日1篇ずつ小学生の詩が掲載されるようになっていました。
1年生の時だと思いますが、ある日、担任のフジイ先生が 「みんなで詩を書いて 『小さな目』 に投稿しましょう」 と言い始めました。
私の家では毎日新聞をとっていたので 『小さな目』 の何たるかも知らなければ、「詩」 がどんなものかも理解していません。
それでも何とか見よう見まねで、私も一篇の詩を書き上げたものです。
それは 『お父さんの手』 という題の詩で、文言そのものは正確には覚えていませんが、「お父さんの手は消毒のアルコールの匂いがする、ぼくも大きくなったらあんな手になりたいなあ」 という内容でした。
父親が開業医だったのでこんな詩が生まれたのですが、中身は嘘っぱちの話ではなく、手から漂うアルコールの匂いを不思議に思って書いたのです。
自分は将来医者になる、という気持ちがあったことも事実です。
そしたら、それが 『小さな目』 に載っちまいました。私のメジャー・デビューの瞬間です。
その後にいろいろあって、結局私は医者を継がなかった訳ですが、きっちり別の意味でアルコールくさい手にはなりました。
私は嘘は申しません。

それにしても子供というのは本当に表現の天才で、特に低学年層の詩や作文を読むと、その都度ハッとさせらることの連続です。
たとえば次の2編の短い詩など、脳だけでなく私のすべての臓器を思い切り絞ったところで、とうてい出てこないほどの美しい言葉に溢れています。

『木』
木が風にのっていました
葉っぱがいっぱいありました
だから、音楽になるのです

『柿』
かきのいろは
きれいだなあ
くれよんがまけそうです

…すごいなあ。なんでこんなふうに書けるんだろう。
おじさんはお金を貰って文章を書いているというのに、君たちの足元にもまったく及ばないじゃないか…。

『先生がおこったら』
せんせいがおこると
ガラスがこわれ
じめんがわれ
ちきゅうがばくはつし
うちゅうもばくはつし
このよはおわる
みんなが
しぬ

『じしん』
さんかんびの日
学校からかえったらお母さんに
「こたえがわかったときは、じしんをもってしっかり手をあげなさい」
といわれました
これからは
じしんをもってこたえようと思いました
せんせい、じしんてなんですか?

『おとうちゃん大好き』
おとうちゃんは
カッコイイなあ
ぼく、おとうちゃんに
にてるよね
大きくなると
もっとにてくる?
ぼくも
おとうちゃんみたいに
はげるといいなぁ

もう何も言えません。「酒や酒や、酒持ってこい-!」 と叫びたくなる気分です。

最後に紹介する詩は、
私に涙を流すことさえ忘れさせた、生命への賛歌です。
ぜひ声に出して読んでいただけたらと思います。

『ぼくがうまれたとき』
ぼくのうまれたとき
おとうさんが
おとこのこでよかったといいました
かなこがうまれたとき
おかあさんが
おんなのこでよかったといいました
あとでかなこがしにました
こんどただしがうまれたとき
おとうさんもおかあさんも
おとこでもおんなでも
げんきならいいといいました

http://www.youtube.com/watch?v=thQWqRDZj7E


白いカーネーション [日々雑感]

115系連結作業:撮影;織田哲也.jpg

若い人たちは、こんなこと絶対にご存知ないでしょう。
私が小学校低学年のころ、「母の日」 には学校から赤いカーネーションの造花が、1人に1つずつ配られ、それを安全ピンで上着につけて、帰宅するよう先生から言われました。
私も無邪気に、そして誇らしげに胸元に赤いカーネーションを飾ったひとりです。
カーネーションの花の下には細い短冊が垂れ下がっていて、「おかあさん、ありがとう」 といった内容の文字が印字されていました。
けれども赤いカーネーションをもらえるのはお母さんのいる子供たちで、何らかの事情でお母さんのいない子供たちには 「白いカーネーション」 が手渡されたのでした。

こんな残酷な話があってよいものでしょうか。
白いカーネーションを胸につけることは、「私には母親がいません」 と世間に言いふらしているようなものです。
しかもそのとき教室では画用紙が1枚ずつ配られ、「お母さんの顔」 とか 「家族の楽しかった思い出」 とかの絵を描く課題があったはずです。
何も知らない私などはそれが当たり前で、「母の日」 に学校ですることはそういうものなのだと、疑問の入る余地はありませんでした。

たとえば 『Always 三丁目の夕日』 など、「古き良き昭和」 を描いたノスタルジックな映画や物語に触れる機会は結構あります。
私にとってもそれらは懐かしく感動的なことが多いのですが、だからといってその当時をすべて肯定的に捉えるのは、間違っているというよりある種狂気じみた話だと考えています。
生まれ育ちや学歴、都会と地方との差異、そのことによって生じる職業のミスマッチや社会的待遇の差別など、今よりもずっとたくさん、私の子供の頃にはあったはずです。
そうした社会の暗部に向ける視線を忘れて、脳天気に 「昔は良かった」 的な発言をする同世代人もいますが、何をか言わんや、怒りさえ覚えてしまいます。

「母の日」 を迎えるたび、私はあの白いカーネーションを思い出してしまいます。
白いカーネーションを胸にした子供たちは、クラスに数名いました。もちろん、死別したのか、あるいは別の大人の事情によるものかはわかりません。
けれども彼らは何を思いながら、配られた画用紙にどんな絵を描いたものなのか…。
当時は気配りさえできなかったことに対して、今にして思えば思うほど、胸に痛みが走るのです。

http://www.youtube.com/watch?v=seBtUJCCzcM

五月の季語から [日々雑感]

下り「スーパーあずさ」上野原通過:撮影;織田哲也.jpg

五月はいったい、春なのか夏なのか。
旧暦で言えば夏に分類されますが、新暦では春に組します。
旧暦と新暦のイメージの差が最も出やすい月、と言えるでしょう。

五月五日は 「端午の節句」。
「端午」 は五節句のひとつで、わが国では 「こどもの日」 に指定されています。
「ちまき」 を食べたり 「菖蒲湯」 をつかうことなどは古代中国由来の習慣で、わが国では 「菖蒲」 が 「尚武」 に通じることから、武家を中心に男子の健やかな成長を祈願する日とされてきました。
「鯉幟(こいのぼり)」 は江戸中期以降に広まった、わが国独自の風習。「鯉の滝登り」 が立身出世の象徴として捉えられたことによります。
「武者人形」 や 「鎧・兜」 を飾るのも、やはり武家の影響が大きいようです。

浦の船 端午の菖蒲 載せて漕ぐ (水原秋桜子)
青葉がちに 見ゆる小村の 幟(のぼり)かな (夏目漱石)

五月には全国で大きな 「祭り」 が催されます。
ざっと考えただけでも、東京では 「神田祭(神田明神)」、「三社祭(浅草神社)」、京都では 「葵祭(賀茂神社)」、福岡では 「博多どんたく」 などがあげられます。
また毎年のことではありませんが、「御柱祭(諏訪大社)」 の 「里曳き」 が行われるのも五月です。
国宝・阿修羅像で有名な奈良の興福寺では 「薪能」 が催されます。

月残す 浅草の空 まつり笛 (杉本寛)
月出づる 橋弁慶や 薪能 (正岡子規)

「新」 のつく五月の季語もいくつかあります。「新緑」 「新茶」 「新樹」 などはその代表です。
「初」 では、何と言っても 「初鰹(はつがつお)」 でしょう。

目には青葉 山ほととぎす 初鰹 (山口素堂)

この有名な句以外に、「女房を質に入れても初鰹」 などというけしからん川柳もあるくらい、江戸の庶民は春から夏に向かう季節の旬を楽しんでいました。
「蛸」 「烏賊(いか)」 「鯖」 「飛魚」 「鮑」 「紅鱒」 といった海・川のものに加え、「筍」 「蕗(ふき)」 「蚕豆」 「豆飯」 など山や野のものも、この月の季語に名を連ねています。

蛸壺や はかなき夢を 夏の月 (松尾芭蕉)
好き嫌ひなくて 豆飯豆腐汁 (高浜虚子)

「夏めく」 「夏きざす」 「薄暑」 「夏霞」 といった、「夏」 を含んだ季語も、初夏の薫りを運んできます。
「麦秋」 「麦の秋」 は古文の授業でも習った言葉。そういえば小津安二郎が原節子を起用して撮った 『麦秋』 という映画もありました。

芛(たかんな)の 皮の流るる 薄暑かな (芥川龍之介)
麦秋の 人々の中に 日落つる (吉岡禅寺洞)

そうそう、忘れてはならないのが 「母の日」 です。
ところが母の日を題材にした句は、意外にも哀しいものが多くなっています。

母の日や 塩壺に「しほ」と 亡母(はは)の文字 (川本けいし)
母の日の 主婦の結核 みな重く (山本蒼洋)

その理由もわかるので、心が少し痛んだりしています。
大阪で独り暮らしをしている母親に、電話のひとつもかけてやらないといけません。


青葉並木 少年の日の 香(か)に萌ゆる
母の日や 小さく咲ける 霞草(かすみそう)

http://www.youtube.com/watch?v=GVZAK-9oIwI



五月晴れ? [日々雑感]

下りE233高尾行き:撮影;織田哲也.jpg

今年のゴールデンウィークは2日までにいろいろな仕事をやり終えて、久しぶりに3~5日の3連休が楽しめました。こんな年はなかなか巡ってこないので嬉しいかぎりです。
いざ、デジタル・デトックスの実践と洒落込みました。
ケータイは電話とメールの用がない限り触れもしない習慣ですから、普段通り持っていても平気。
デジタルカメラは趣味の一環なので、もともとストレスなど感じません。
私の中毒症状は、やはり過度のPC操作に集中しています。
仕事がらみでさまざまなデータや文献を検索しながら、関連のサイトを巡っているうちに脱線、いろんなサイトに無制限に枝分かれしていくのが私の悪い癖です。
そのうち雑学から趣味サイトに立ち寄り、おふざけページを巡って、ときどき激烈Hなところに足を延ばしていると、気がつけば食事を摂るのも忘れて一日が終わりかけていたりします。
そこで2日夜から6日朝まで、メイン機とサブ機には一切電源を入れず、モバイル用のを使って最低限度の連絡とデータ更新のみにとどめることに決めました。
結果は上々、いまアタマの中は、風薫る五月晴れのようにスッキリしています。

ところでかなり前の話、ちょうどゴールデンウィークの頃にTVのニュースを見ていると、アナウンサーが 「今日は 『ごがつばれ』 の一日でした」 と伝えていました。
デビューしたての若いアナウンサーなら読み間違いだと思うところですが、ベテランのアナが確信的に 「ごがつばれ」 と読んだので、「お、こいつ、やるなあ!」 と一人快哉を叫んだものでした。

「五月晴れ」 を 「さつきばれ」 と読むと、これは旧暦五月の季語になってしまいます。
旧暦五月は新暦の六月とほぼ重なります。
つまり 「さつきばれ」 のもともとの意味は、五月の爽やかな晴れの日を指すわけではなく、梅雨の長雨の合間にときどき現れる晴れ日のことを指しているのです。
ベテラン・アナはこのことを分かっているからこそ、「さつきばれ」 と読まずに、あえて 「ごがつばれ」 と読んだわけなのです。
あとから的外れのクレームが局にたくさん寄せられるのを予想しながら、こうしたこだわりを見せたのは、見上げたプロ根性と言えるでしょう。

同じことは 「五月雨(さみだれ)」 にも言えます。
松尾芭蕉 『奥の細道』 に 「五月雨をあつめてはやし最上川」 という句がありますが、最上川は日本でも有数の大きな河川です。
その大きな河川が、五月に少々降ったところで、急に流れが速くなるはずもありません。
「五月雨」 もまた、新暦で六月ごろの雨を指しています。梅雨の長雨を集めるからこそ、轟々と濁流渦巻く最上川に変身するというわけです。

今日の東京は天気は良いのですが、風が強く、気温も低めです。
毎年この時期に日焼けししまうのですが、今年はそんな雰囲気がまだありません。
早く 「ごがつばれ」 の下をロードバイクで疾走してみるか、あるいは下町の風に吹かれて隅田川沿いを散歩でもしたいものです。

http://www.youtube.com/watch?v=flIzZgrUZp8

「が…。」 のユーウツ [日々雑感]

大塚・帝京大学付近:撮影;織田哲也.jpg

昨日から今日にかけて冬のような気温で、エアコンのお世話になっています。
おまけに冷たい雨が路面を覆い、底冷え感がひとしおです。
街行く人たちも、ダウンジャケットを羽織っている姿が珍しくありません。

東京に出てきたのは1980年ですが、4月の8日ごろに結構な雪が降ったのを記憶しています。
出勤のため中野駅のホームに立っていると、すぐ近くにそびえるサンプラザが雪のせいでまったく見えなくなっていて、エライ北国に来たものだという気分になりました。
京阪神地区でも春の雪は降りますが、4月の東京でそれほどの雪というのは予測していなかったのです。

東京と大阪では大気の色が違う、という研究レポートを読んだことがあります。
明確な出典を示せなくて申し訳ないのですが、その研究によると東京の大気はブルーがかっているのに対し、大阪の大気はオレンジがかっているということです。
そのために東京の大気の中では黒や紺のスーツがクールに見え、大阪では原色の派手な服が映える、らしいのです。
真面目な研究なのかトンデモ研究なのか、私には判断がつきません。
この時期は黄砂が飛び、大気は黄色っぽく見えたりします。いま降っている雨はそれを洗い流してくれるので、ありがたいことではあります。

雨の日は嫌いではありません。
Rainy Days and Mondays always get me down. という歌詞もありますが、Mondays はともかく Rainy Days はそれなりに楽しみがあります。
大気中の汚れを洗い流してくれることはそのひとつです。夜になると、街の明かりがすっきり冴えて見えます。
私も含めて、花粉症の人は症状が緩和されてほっとするでしょう。
またまわりの空気が潤うことで、精神が落ち着く効果もあります。
心までしっぽり春の雨に濡れ、優しい気持ちになれるのです。

こんな日曜日は日がな一日、音楽を流しながら好きな本でも読んでいられればよいのですが…。

http://www.youtube.com/watch?v=nDhM8-ubTVg
名曲です。

武蔵野の香 [日々雑感]

E233夕景:撮影;織田哲也.jpg

4月16日は康成忌なのだそうです。
『伊豆の踊子』 や 『雪国』 を遺した川端康成氏が1972年のこの日、伊豆アリーナの仕事場マンションで、ガス管を咥えて自ら生命を絶ったことにちなんでいます。
三島由紀夫氏の割腹自殺が引き金となったとか、老いへの過剰な恐怖で追い詰められていたとかさまざまな憶測が飛んでいますが、私は正直あまり興味がありません。
それよりも私にとっては、この日がフォーク歌手・高田渡氏のご命日であることのほうが印象的です。

コンサート会場ではなく、氏がこよなく愛した吉祥寺の 『いせや』 で、一度だけ姿を見かけたことがあります。
井之頭公園の入り口にあるほうの店ではなく、たまたま仕事仲間に連れて行かれた本店のほうでした。
「おい、見てみろよ、高田渡だ。まだ歌ってるのかなあ」
促されて振り返った先にいた氏と、一瞬目が合いました。
顔見知りでもないのに思わず会釈をしてしまった覚えがあります。氏もとまどいながら軽く頷かれたような気がしましたが、思い過ごしかもしれません。

今でも私は 『いせや』 に行くたび、高田渡氏の曲が何曲か頭の中に流れます。
ミュージシャンとしての活動はもちろん知っていましたし、ギター片手に弾き語ることのできる曲もひとつふたつありますが、特に熱心なファンであったわけではありません。
それでも 『いせや』 で呑んでいると、お店と一度だけ見かけた氏の雰囲気とが、自然にオーバーラップしてしまいます。
ほろ酔い加減であやふやな歌を口ずさみながら、井之頭公園内をぶら歩いて、氏の足跡を追いかける気分に浸ったこともありましたっけ。

気がつくと氏の享年をすでに越えて、生きながらえています。今も、今夜も。

http://www.youtube.com/watch?v=GBrsz1417H8
以前 『生活の柄』 をアップしたことがあります。今回は 『夕暮れ』。

丑三つ散歩 [日々雑感]

Viewing Cherry Blossoms:撮影;織田達也.jpg


夜の夜中に、何の目的もなく表をうろつきまわるという悪い癖がありまして、出かけるときは職質されても困らないように身分証明書を持ち歩いています。
睡眠をとる時間が不定期なのに加え、いったん眠りについても3時間で目が覚める体質であることが、そんな習慣に結びついたのでしょう。
別にトイレが近くて起きてしまうわけではなく、3時間で1つの睡眠単位というふうに固定されているのです。
疲れているときは、いったん目覚めて少し動いたり音楽を聴いたりしているうちに、2セット目の睡眠に入るといった次第です。
「体が腐るほど寝た」 などということをのたまう方もいらっしゃいますが、いちどそんな思いを経験してみたいものです。

3.11以来、エネルギー資源の節約ということもあって、いまでは夜の公園に明かりがまったく灯っていないことも多いです。
東京ではソメイヨシノはすべて、ヤマザクラもほとんど散ってしまいましたが、ベニシダレやヤエザクラはいまが満開です。
ひとり深夜の花見と洒落込んでみたりしました。
24時間営業のコンビニが開いていてお酒が買え、こんな時間に往来で飲んでいても暴れない限りお咎めなしの国は類がありません。
眠ったような花の下で日本酒をいただく。俳諧、いや徘徊中年男の密かな楽しみとしては、なかなか乙なものです。たとえそれが安いカップ酒であっても。

丑三(うしみつ)の 墨絵のごとき 八重桜
春の夜更け道 胸うずく探しもの

http://www.youtube.com/watch?v=XRlBbL0rDc8

掛け値なく番宣 [日々雑感]

多摩センター終点:撮影;織田哲也.jpg

仕事柄、世間一般の人々とは違ったタイムテーブルで生活を送ることが当たり前になっています。
以前にも書いたように、だからこそ食事だけは世間並みの時間に3食摂るよう心がけています。健康のためにも。
もっとも7時に朝食というところまではいいのですが、そこに晩酌が伴って、8時には酔っ払っておネンネとなったりもするわけで、あんまり健康に良いとは言えません。
そんな流れでテレビを視る時間帯も、普通の社会人とは違ったものになりがちです。
NHKが夜明け前に放映しているSLの記録映像や環境映像とかは超低視聴率だと思いますが、私にとっては午前8時のニュースよりも親しみがあるわけです。

TVじたいあまり視る機会がないわけですが、そんな私がいま唯一ハマっている番組は、TOKYO-MXテレビで平日の夕方5時からやっている 『5時に夢中』 なのです。
極端な東京ローカルな番組なのですが、この4月から関西の一部にもネットされ始めました。
今はタレントのふかわりょうがMCを務め、毎日違ったレギュラーメンバーがトークを交える内容となっています。
ちなみにレギュラーを列記してみると、次のようなラインアップです。

月曜:若林史江(投資家)、マツコデラックス(お姉タレント)
火曜:北斗晶(元プロレスラー・鬼嫁)、岡本夏生(元レースクイーン)
水曜:中村うさぎ(作家)、美保純(女優)
木曜:中瀬ゆかり(『新潮45』編集長)、岩井志麻子(作家)
金曜:中尾ミエ(歌手)、上杉隆(ジャーナリスト)

トークの内容がとにかくエグいのです。
放送禁止コードすれすれの表現が飛び交い、こんな番組が夕食前の健全なお茶の間に流れていいものだろうかと、メディアの住人としては心配になるほどです。
実際、一時期出演していた漫画家の西原理恵子女傑は調子に乗って、いや違った、確信犯として関東4文字言葉を口にしたことで、さすがに降板させられた経緯さえあります。
表現はエグいものの、交わされる本音トークは知的であり刺激的であり、叙情あり人間味あり、その意味では作為的な感じはまったくありません。
ゲリラ番組もいいとこです。それが最大の魅力という番組です。

こいつは面白いですよ。機会があったら視てください。
柄にもなく、ただファンだからという理由で手放しの宣伝です。
仕事がらみだとこんなことぜぇーーーーーーーったいにしないのですが、一銭にもならなくてもやっちゃうのが私的なブログだからです。まあ、ぜひ。

http://www.youtube.com/watch?v=JgUBhrzAdQo

4月の季語から [日々雑感]

E257『かいじ』と待機中の115:撮影・織田哲也.jpg

4月は 『卯月(うづき)』 と言い、「卯の花の咲く月」 がその由来です。
「卯の花」 はウツギの花を指し、白く可憐な花を咲かせることから、月光のようとか雪のようとか古くから詠われてきました。

卯の花や 盆に奉捨(ほうしゃ)を のせて出る (夏目漱石)

「奉捨」 は 「報謝」 とも記され、修行中の僧や巡礼の人たちに金銭や米などを施すこと。卯の花の咲く庭先で奉捨をしている光景を詠んだ句です。
4月8日はお釈迦様の誕生日、寺院では 「仏生会(ぶっしょうえ)」 が催され、誕生仏に 「甘茶」 をかけて寿(ことほ)ぎます。「遍路」 もこの月の季語のひとつです。
また、キリスト教においても 「復活祭(イースター)」 のお祝いがあり、それが歳時記にも載っているあたり面白いことです。

「春」 を冠した季語は、「春暁(しゅんぎょう)」 「春の雲」 「春雨」 「春日傘」 「春眠」 など目白押しで、いかにも 「春爛漫(らんまん)」 といった様相です。

もえさしる 草何々ぞ 春の雨 (加賀千代女)
草の家(や)の 柱半ばに 春日かな (芥川龍之介)

「桜前線」 「花吹雪」 「花時」 「花曇り」 「花冷え」 といった、「桜」 に関わる季語の多いのも当然でしょう。
桜以外にも、「梨の花」 「林檎の花」 「杏の花」 「沈丁花」 「二人静」 といった花々が、春の句を彩(いろど)ります。

故郷(ふるさと)の 目に見えてただ 桜散る (正岡子規)
花冷えの ともし灯ひとつ ともりけり (日野草城)

「永き日」 「風光る」 「遠霞(とおがすみ)」 などは、この時期ならではの季語です。
長い閑と書いて 「長閑(のどか)」 という字面には、心惹かれるものがあります。
面白いところでは、「石鹸玉(しゃぼんだま)」。光の丸い球が風に乗って遠くまで飛んでゆくのは、いかにも春らしい遊びの風景と言えそうです。
「風車」 や 「風船」 がこの月の季語になっているのも、わかる気がします。

春なれや 名もなき山の 薄霞(うすがすみ) (松尾芭蕉)
石鹸玉の 息ゆらゆらと 円(まど)かさよ (島村元)

旧暦の4月は新暦の5月にあたるため、歳時記の世界ではもう晩春となっています。「春惜しむ」 などと言いますが、まだまだこの季節に酔い足りない気分です。
春は仕事がしにくい。まったくそう思います。
少しの時間を見つけて、カメラと文庫本とお酒を引っ提げ、各駅停車のぶらり旅と洒落こみたいものです。

満顔の お国なまりや 花の下
頂(いただき)を目指して 朝の風光る

そうそう、エイプリル・フールも 「万愚節」 という季語で、しっかり歳時記に参列していました。

http://www.youtube.com/watch?v=bkTmnzLsHsg
春の虹 夢を残して 消えにけり

エイプリル・フール [日々雑感]

DE10@八王子駅:撮影;織田哲也.jpg

ついこの前、年が明けたかと思ったら、早や4月1日です。
新年度ということで、新・社会人や進学・進級した学生たちが、今日から街にあふれます。

昔は中学生になれば英語を習い始めるものでしたが、今は小学生の時から英語教育が始まっています。そのことの良し悪しはなお議論されるところですが。
ところで皆さんは英語で自己紹介するとき、自分の姓名を相手にどのように伝えますか?
例えば 「佐藤あきら」 さんだったら、I am Akira Sato. と言うか、I am Sato Akira. と言うかという問題です。
かつては前者、すなわち Akira Sato とするのが常識のようになっていましたが、今では中学校英語教科書のほとんどで、後者の Sato Akira 表記が採用されています。

御存知の通り、日本では 〈姓→名〉 の順で名乗るのに対し、欧米では 〈名→姓〉 の順に名乗ります。
英語を話す場合は英語圏の習慣に合わせて 〈名→姓〉 としよう、というのが過去の態度でしたが、今では自国の習慣を優先して 〈姓→名〉 と表すように変化してきたわけです。
日本人が 〈姓→名〉 の順に名乗るという習慣自体、欧米の人たちに広く知れ渡るようになってきたという事情も関係しているのでしょう。
いずれにしてもいい傾向だと、私自身は思っています。

そもそも、いつごろから 「欧米人に対しては 〈名→姓〉 の順で名乗る」 という習慣がついたのでしょうか。

私はその答えを、「幕末から明治維新の頃」 と考えていました。
予期せぬ黒船の到来により、あたふたと開国したわが国にとって、欧米の習慣に従うことが当然のように思われたのではないか、という理由からです。
しかし調べてみるとどうもそうではなく、実は江戸時代の初期から、欧米人には 〈名→姓〉 の順で名乗っていたようです。
もちろん江戸幕府は鎖国政策をとっていましたが、欧米ではただ一国、出島でオランダ人との交易が続けられていました。
その当時の出島の交易記録は、現在もちゃんと残っています。

それによると、例えば 「越後屋嘉平(えちごや・かへい)」 だったら、Echigo-ya Kahei ではなく 〈名→姓〉 の順で Kahei Echigo-ya と記されています。
鎖国時代にはほとんどの人々がそんな事情を知らなかったなか、出島においてだけは欧米の習慣が当たり前にまかり通っていたことを表しています。
まさに日本の中に唯一存在したヨーロッパ、というわけです。歴史の面白さをあらためて感じさせてくれるエピソードと言えるでしょう。

この結果、出島で 「姓」 ではなく 「名」 を先に言ったことから、この地域を 「ながさき」 と呼ぶようにもなったのです。

なお今回の記事は 『Unaccountable history of Social studies in Oxford (vol.800)』、通称 『USO-800』 誌を参考にしたとかしないとか。

http://www.youtube.com/watch?v=ts9vPn9fyek

寂寥(せきりょう) [日々雑感]

下りE233:撮影;織田哲也.jpg

つい先日28日、岐阜県各務原市にある公園墓地 「瞑想の森」 で、桜の木20本が切られるという出来事が起こりました。
被害に遭ったのは、3分咲きのソメイヨシノ18本とアラカシ2本で、いずれもノコギリのような刃物で根元付近から切られ、一部を残して持ち去られたようです。
高さ3メートルほどもある木を持ちかえって鑑賞するつもりなら、それほど大量に切り倒す必要はないはずです。庭木に利用しようとしても、切った木をそのまま地面に植えたって枯らしてしまうだけです。
こういう目的のはっきりしない犯罪を見聞きすると、心が無駄に干からびていく気分にとらわれます。

誰も得をしない、自分さえも損失を被(こうむ)ることが分かっているのに押しとどめることのできない破壊の誘惑、そんな衝動は誰の中にもあるものでしょう。
けれども、行儀よくまじめなんてクソくらえと思い、夜の校舎の窓ガラスを壊してまわることと、生命ある桜並木を無残に切り倒して進むこととは同列には考えられません。
前者は若いエネルギーの暴発と好意的にとらえる余地もありますが、後者の事件からは 「死臭」 のようなぞっとする不快感さえ漂ってきます。

市によると、被害額は50万円程度だそうです。
桜木20本の被害を法に基づいて計算すれば、まあそんな数字になるのでしょう。市民が心の中から失ったものの損失額を算出する方程式はないわけですから。
今日は肌寒い一日となりそうですが、「花冷え」 とはこんな貧しい気分を指す言葉では決してありません。

今じゃなくても… [日々雑感]

京王9000系・多摩境:撮影;織田哲也.jpg

「まだ花見をしていない」 と言うと早速、知人から 「いつやるの? 今でしょ!」 とメールが届きました。
大きなお世話なのはともかく、最近こんな言い回しをする人が増えました。いい齢こいた大人のくせに、まったく鬱陶しいったらありません。

『万葉集』 の時代には梅を愛でることのほうが多かったようですが、『古今和歌集』 の頃になると、その対象が桜に移りかわっていったようです。どちらの花を詠んだ歌が多いかで、その変化を見ることができます。
象徴的な桜といえば、わが国古来よりヤマザクラであったわけですが、今では圧倒的にソメイヨシノに人気が集中しています。
葉よりも早くいっせいに開花し、また散り際の鮮やかなことが、その大きな理由です。
「死ぬことと見付けたり(『葉隠』)」 と言われた武士道に通じるからかと思っていましたが、どうもそうではなく、特に戦後の小中学校でソメイヨシノが好んで植樹されたことに起因するという話です。
春の風に舞い散る花びらが、卒業から入学といった人生の転機を祝福していると、大人から子供まで自然に感じられるというのでしょう。

吉田兼好師は 『徒然草』 第百三十七段冒頭で、次のように述べています。

「花は盛りに、月は隅(くま)なきをのみ見るものかは。
雨に対(むか)ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。
咲きぬべきほどの梢(こずえ)、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。…
…花の散り、月の傾くを慕ふ習いはさることなれど、殊(こと)にかたくななる人ぞ、『この枝かの枝散りにけり。今は見どころなし』など言ふめる。」

(桜は満開のときだけ、月は満月だけを見て楽しむべきなのだろうか。
雨空を見上げながら隠れている月を恋しく思ったり、簾(すだれ)を垂らした部屋にこもって春が通り過ぎるのを想像して過ごしても、いっそう味わい深いものである。
今にもほころびそうな蕾(つぼみ)の梢や、花びらが散りばめられた庭など特に見る価値があろう。…
…桜が散ったり、月が沈むのを見て名残惜しく思う伝統はその通りだが、美的感覚のない人にかぎって、「この枝もあの枝も散ってしまった。今では見ても仕方がない」と決めつけてしまう)

その上で、風流を心得ない人の花見の様子を、苦々しく書き付けています。

「片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。
花のもとにはねぢ寄り立ち寄り、あからめもせず目守(まぼ)りて、酒飲み連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。
泉には手足さし浸して、雪には降り立ちて跡つけなど、よろづのもの、よそながら見ることなし。」

(風流を心得ない人にかぎって、あからさまに興味を向けて遠慮のないものだ。
桜の木にしつこく体を寄せたり、ねちっこい視線で舐めまわすように見たり、酒を飲んだり連歌をして騒ぎ、果ては、大きな枝を、ためらうことなく折ってしまう。
こういう者たちはえてして、湧き水を見れば手足を突っ込み、雪が降ると地面に足跡をつけたがるなど、どんなものに対しても触れたがるばかりで、あるがままの姿を見て楽しむことができないのだ)

では、花鳥風月、雪月花、どのように鑑賞して楽しむのがよいと言うのでしょうか。

「すべて月・花をば、さのみ目にて見るものかは。
春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)の内ながらも思へるこそ、いと頼もしうをかしけれ。
よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。」

(そもそも月や桜は、人の目で見て楽しむだけのものだろうjか。
春は家から出かけなくても、秋の名月の夜は寝室にこもったままでも想像にまかせて楽しむほうが、たいへん安らかな気分で情緒を味わうことができる。
風流を愛する人は、愛でる心をことさら露わにせず、興味を示す態度もあっさりしているものだ) ― 筆者翻案

あるがままの姿を自然に受け入れることが、風流の基本といったところでしょうか。
『徒然草』 にはこうした、思わず我が身を振り返りたくなるような珠玉の言葉がたくさん詰まっているのです。
ね、だから 「今でしょ!」 などと、下手な流行語を遣っている場合ではないのです。
そんな暇があったら、兼好師の爪の垢でもフライングゲットしていらっしゃい。

http://www.youtube.com/watch?v=1BM4h0pgL54
桜をテーマにした中ではいちばん好きな曲です。

春宵一刻(しゅんしょういっこく) [日々雑感]

E233-EF64:撮影;織田哲也.jpg

久しぶりに千鳥ヶ淵の桜並木などを伺うと、普段は無国籍ふうに振る舞ってはいても、「ああ、俺は日本人なのだな」 とあらためて思い知らされるものです。
夜桜見物などといった風流に、今年はまだ恵まれていないにもかかわらず、です。
現実的には春爛漫の気分だけでも味わいたいためか、記憶の中にある桜の風景を脳内シミュレーションして、せめてもの慰みにしています。
言ってみれば 「エアお花見」 状態です。これで酔えるとは自分でも不思議です。
毎年、井之頭公園を一巡りし、『いせや』 で独り反芻するのが恒例となっていますが、今年はいつ行けるものでしょうか。

『春夜』 (蘇軾)

春宵一刻直千金 (春宵一刻直千金)
花有清香月有陰 (花に清香有り月に陰有り)
歌管樓台聲細細 (歌管樓台(ろうたい)聲細細)
鞦韆院落夜沈沈 (鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく)夜沈沈)

有名な第一句以外は、読み下し文でも意味が取りづらいところです。
ところが非凡の才というべきか、この七言絶句を見事に読みほぐした先達がいます。
二人の訳文を並べてみましょう。

『春の夜』 (土岐善麿・訳)
ひととき惜しき春の宵や
月に陰あり香るは花
たかどのかすかにもる歌笛
ふらここたれて夜はふけたり

『鞦韆(ぶらんこ)ヒッソリ夜ノ庭』 (松下緑・訳)
コガネニ喩(たと)ウ春ノ宵
花ノ香(か)匂ウオボロ月
宴(うたげ)ノ笛ノ音(ね)モトオク
鞦韆(ぶらんこ)ヒッソリ夜ノ庭

この漢詩の詠(うた)うところは、単に 「春の宵はいいものだ」 というわけではありません。
詠み込まれている 「花」 「花の清香」 「照らす月」 「笛の音」 などは、その一瞬一瞬がなんともなまめかしく、生命の輝きに満ちている。
それに比べれば人の世のあくせくした営みにどれほどの価値があるだろうかと、夜の庭の誰も乗らないブランコを見やりながら作者は想いを綴ったのでしょう。
松下緑訳を借りるならば、第一句の 「コガネニ喩(たと)ウ春ノ宵」 という煌(きら)びやかさと、第四句の 「鞦韆(ぶらんこ)ヒッソリ夜ノ庭」 という静けさを、2編の映像に仕立て見比べているような味わいがあります。
と同時に、緩やかで自然な時の流れに溶け込んでいく錯覚を、この詩には感じてしまいます。

http://www.youtube.com/watch?v=SSR6ZzjDZ94
BOSTON

『別れの曲』? [日々雑感]

立川-高松間:撮影;織田哲也.jpg

昼間、休憩がてらいろんなブログを巡っていたら、ある高校の卒業式風景について書かれたものがありました。
その中に、「BGMとしてショパンの 『別れの曲』 が流れていた」 という記述があり、ついつい 「ホンマかいな」 と苦笑してしまいました。

ショパン作曲 『エチュード10第3番ホ長調』 が 『別れの曲』 と呼ばれているのはわが国だけです。これは比較的有名な話です。
昭和10年に 『別れの曲』 というドイツ映画が、なぜかフランス語版で公開され、その主題歌がこの曲でした。映画の内容は若き日のショパンを描いたものです。
そのとき、主題歌が 『エチュード10第3番ホ長調』 では味気なさすぎると考えたのか、映画の邦題と同じ 『別れの曲』 とされたのがそもそもの原因となっています。
ベートーベンの 『運命』 交響曲にしても、有名な第一主題のメロディーについて問われたベートーベンが、「このように運命は扉をたたく」 と解説したのに由来して 『運命』 と呼ぶようになったのです。これもわが国独自のケースで、国際的には 『交響曲第5番ハ短調』 なわけです。
このような例はほかにもあって、つくづく日本人は言葉の持つイメージに流されやすい感性をしていると思います。言霊(ことだま)信仰にもその原因があるのでしょう。

それでもベートーベンの 『交響楽第5番』 の場合は作曲者自身の発言が関係していますし、いかにも 「運命」 を表現していると万人の認めるセンスがあります。
では、ショパンの 『エチュード10第3番ホ長調』 のほうは如何でしょう。いかにも 『別れの曲』 と呼ぶにふさわしいものなのでしょうか。
ショパン自身はこの曲について、「一生のうち二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないだろう」 と評していると言われています。
また弟子に練習をつけているとき、突然 「ああ、私の故国よ!」 と泣き出したいうエピソードも聞きます。

この曲の出だしと終わりはたしかに美しい旋律を奏でていると私も認めますが、途中のパートについてはどうも 「美しい」 では済まされないような不思議な感覚を覚えてしまうのです。
言ってみれば、一種の 「狂気」 なのでしょうか。
そちらが心の中の抑えようのない本音を表した部分であって、前後の穏やかなカンタービレはどこか表面を取り繕った社交的な自分の姿であるような気がしてなりません。
あるいは、あまりに美しいものと対峙したとき、その輝きに耐え切れず切り刻んで壊してしまいたい、汚さずにはいられない衝動のようなものでしょうか。
曲想が急激に変化するため、その落差につまづいてしまうような気分に陥ります。
『別れの曲』 というよりは、どこか 『内なる狂気の曲』 的な雰囲気を、私は強く感じてしまうのです。

念の為に申し上げておきますが、上に述べたことでこの 『エチュード10第3番ホ長調』 の価値が霞んで見えるとは決して思っていません。
むしろショパン自身が 「美しい旋律」 と評したものを、その狂気が引き立てているとさえ思っています。
その解釈が無知でも我儘でも無粋でも、日記の中で遊ぶくらいはいいかなというところです。
勝手な解釈自体を楽しんでいますから、ショパンの狂気に触れたという思い込みで、私はじゅうぶんこの曲に感銘を受けているわけなのです。

http://www.youtube.com/watch?v=YcBB7zs6pSA
あなたはどのように聴かれますか?

鉄道とおっぱい [日々雑感]

165系長野色・鳥沢:撮影;織田哲也.jpg

高校生になった頃から、カメラをかかえて鉄道の旅をすることが趣味のひとつになり、独りででかけたり友人と連れ合うことが多くなりました。
私の高校時代は、1971年から1974年です。昭和で言えば、46年から49年に相当します。
そんな頃に少しばかり田舎に行くと、赤ちゃんを抱えたお母さんが車内でたわわなおっぱいを人目も憚らずに出し、赤ちゃんに授乳している光景に出くわすことも稀ではありませんでした。
まあ、高校生ですから視線をそらすふりをしながらチラチラ見たりもしていたのですが、そんな風景は日常茶飯事にあったことなのでしょう。

この国の歴史を考えてみると、女性が胸元を隠す文化はそもそも希薄であったと思われます。
松平定信が寛政の改革の中で 「混浴禁止令」 を出していることを思えば、それまでは大衆浴場の混浴も当たり前にあったということがわかります。
日本の女性の羞恥は腰回りにあったわけで、混浴であった当時も、入浴時には腰巻を巻いていたことが浮世絵などからもうかがえます。
男は褌(ふんどし)を、女は腰巻をつけて、同じ湯を使っていた文化があったわけです。

いや、なぜ今こんなことを突然に書いているかといえば、最近は電車の中で赤ちゃん連れの母子の姿を見かけなくなったなとふと思ったからなのです。
赤ちゃんを連れたお母さんは、今はたいてい車で移動します。
電車の車内がパブリックな空間なのに対して、自家用車の内部はプライベートな空間です。
乳児を育てる空間が社会とは一線を画せるようになったから、今では電車の中でおっぱいをあげることもなければ、そこでおむつを取り替えることもしなくなったということです。
それは環境の整備という点では社会的繁栄の賜物でもあるわけでしょうし、母子にとっても都合のいいことなのかもしれません。
ただ新しい生命である赤ちゃんと、それをなりふり構わず育てているお母さんの姿を、パブリックに見かけなくなっていることは本当にいいことなのだろうかと、疑問が残るのです。

いま電車の中はSNSが支配する電波の世界になり、生活臭がまるで感じられない空間となっています。
けれども、そんな空間ばかりが居心地のいいものだとは限らないのです。
人は生きていく上で緊張ばかりもしていられないので、どうしてもスキというものができてきます。
かつて電車の中で曝け出されていたおっぱいなどは、そのスキの典型みたいなものでしょう。
逆に言えば、そんな場所でスキを見せてしまっても構わないほどに、お母さんたちは赤ちゃんを育てるリアルと正直に向かい合っていたと言えるのではないでしょうか。

鉄路の旅には夢があるとよく言われます。
しかし、夢とリアルとは、同じものでできていると私は思っています。
リアルを感じられない夢は偽物です。高校生の頃に見かけた、赤ちゃんが無心に吸い付くおっぱいに、電車の中でまた会えたら嬉しいと私は密かに思っているのです。

(言っとくけど、おっぱいが見たいっていう話じゃないからね。そりゃまあ、見たいけどさ)

http://www.youtube.com/watch?v=16sO17p4jbE

孤独の決裁 (WBCを観戦して) [日々雑感]

横浜線相原駅:撮影;織田哲也.jpg

昨日行われた WBC(World Baseball Classic) 準決勝で、日本はプエルトリコに敗れ、栄えある3連覇を逃しました。
プエルトリコは非常に鍛えられたチームであり、打ち崩せなかったことは残念ですがこれも勝負ですから仕方ありません。むしろ今回はこれでじゅうぶん上出来だと思います。
そんな中、最後の試合をTVで観戦して、考えさせられることがあったのです。

問題のシーンは8回裏、日本の攻撃時に起こりました。
それまでほぼ完璧に押さえられてきた日本が、鳥谷(以下、選手名に敬称略)が3塁打で出塁。これを井端が巧打で返して3対1とします。さらに内川がヒットで続き、1アウト1,2塁、打席には4番・阿部という絶好の同点機を迎えました。
ここでピッチャーの投球の間に、内川が2塁へ全力で盗塁を試みます。
ところが2塁上にはランナー井端がおり、行き場を失った内川は無念のアウトとなりました。2アウトを取られた日本の意気は一気に下がり、追加点をあげることができなかったのです。
後になってベンチからのサインは、「ダブルスチールに行けるようなら行け」 というものだったと公表されました。1塁2塁のランナーが同時に2塁3塁を狙って盗塁を試みてもよい、という指示です。
「行ける」 と思った内川は走り、「行けない」 と思った井端はとどまった。そのことがこのミスプレーを呼んでしまった直接の原因でした。

実はこのシーンから10日前、WBC・2次リーグの台湾戦でも、同じ作戦がとられていました。
日本は台湾に3対2と1点のリードを許し、9回2アウトまで迫られていました。
ここで鳥谷がフォアボールを選び出塁します。この鳥谷に対し、ベンチは 「行ける(盗塁できる)ようなら行け」 という指示を出したのです。
この指示、出された選手はキツいでしょう。もし盗塁を決行して失敗したなら、その試合はそこでご臨終。逆に決行しないで敗戦となった場合は、走らなかったことを責められるかもしれません。積極策をとっても消極策をとっても、あとのないところに追い込まれてしまいます。
その状況から考えると、「行けるようなら行け」 は実質的に 「行け!」 という指示に他ならなかったのではないかと思われます。
そこで鳥谷は肚をくくり、失敗すれば一生責め続けられるかもしれない大博打に打って出て、見事に盗塁を成功させました。
続く井端がしぶとくヒット、日本は土壇場で同点で並び、その後の逆転勝利に結びつけたわけです。

話を準決勝プエルトリコ戦に戻すと、件の場面で出された 「行けるようなら行け」 という作戦は、言葉の上では同じでも台湾戦のときとはまったく質が異なります。
台湾戦での1塁ランナー鳥谷は、良くも悪くも自分の決心によって動けるわけです。ところが準決勝のあの場面では、井端・内川の両ランナーが呼吸を合わせないと、ダブルスチールを成功させることはできません。
いくら優秀な選手を集めたとはいえ、その微妙な呼吸をつかめるほどチームとしては熟成されていないはずです。ましてや打席にはキャプテンの阿部。余計な小細工をせず4番のバットに賭けるという作戦だって、当たりまえにとられるケースです。
ダブルスチールに行かせるなら、躊躇せずに 「次のボールで行け」 と指示すべきだったでしょう。失敗し1人がアウトになったとしても、それは積極的に攻めた結果となります。

内川:「あれはやってはいけないプレー。言い訳はできない。飛び出した自分が悪い。…いろんな人から3連覇をぜひって言ってもらってましたし。今回だけじゃなくて、2大会連覇してくれた選手の方々もいらっしゃいましたし、そういうものを全部、自分が止めたような気がして…申し訳ないです…」

こんなふうに選手に言わせるのは、いくらプロとはいえ酷な話です。
泣くな、内川。きみは WBC を通じて優れた活躍を見せてくれたではないですか。日本の野球ファンの眼は曇ってはいないので、胸を張って帰ってきていただきたいです。
いろいろな見方はあるでしょうが、私は首脳陣こそが真っ先に、曖昧な作戦が裏目に出たことを認めなければならないと思います。
指示を出す者は一身に責を負い、言い繕うことをしてはいけない。
深い孤独と心中する覚悟を、一人の選手に背負わせてはならないはずです。

http://www.youtube.com/watch?v=rGPkOhCtSpg

引き籠る週末 [日々雑感]

都営新宿線10-300系・多摩センター:撮影;織田哲也.jpg

仕事がら、不自然な時間の遣い方に歯止めが効かないというか、幾日も連続で夜なべをしたり、尋常でない時間に仮眠をとる生活が続くと、さすがにそのペースにどっぷり漬かっていてはいけないなあと反省心も起こるというものです。
若いうちは体力任せで乗り切ってきましたが、ストレスで血圧が激変する体質を患ったことで、生活のある重要な部分は世間一般の人様並みに保っておかなければならない気持ちに切実に襲われました。
だから睡眠がそうなれないのならば、せめて食事だけは適正な時間に3食摂ることを心がけています。
朝食は6時から7時、お昼は12時前後、夜はお酒を飲むことも多いので早めの時間に軽くすませる。
このペースを守ることで健康管理につながり、体内時計を補正することがなんとかできているようです。まあ、今のところはという話ですけれど。

ところが食事のリズムを世間並みに保つ努力をしていることで、狂ってしまいがちな睡眠のリズムとの間に乖離(かいり)が生じることもあります。
月曜から金曜まではなんとかその矛盾を誤魔化していますが、週末になると一気に倦怠感がつのってくることも度々です。まさに今日はそんな一日でした。

今朝、目覚めたのは午前2時半ごろでした。
しばらくぼうっとしていましたが、ひとたび起動した神経を押さえ込むこともできず、TVのスイッチを入れてみました。NHKでやっていた番組は、かつての蒸気機関車(SL)の姿をとらえたモノクロの記録映像でした。
実はこの手の番組は、たいへん好きなのです。
耳障りのするナレーションもなく、まるで環境音楽を聴いているかのように、流れゆく映像に何の気負いもなく視覚を委ねていける安心感があるからです。
NHKが深夜から明け方にかけて放映している映像は、ほかにも北アルプスの峰々や野生動物の生態を延々と映し出したものがあり、それらはいつも時の流れを忘れるような安らぎを与えてくれるのです。

夜明け前のTVを見つめながら、今日は一日、自室に引き籠る決心を早々につけました。
何もしないというのではありません。やるべき仕事はあるのです。
けれども切羽詰まった気分でするのではなく、穏やかな時間の中で取り組んで、時には音楽を聴いたり、ブログを書いたり、昼寝したりしながら過ごしたのです。
9:30からの 『ぶらり途中下車の旅』 や、12:15からの 『暮らしの中の法律相談』 など、いかにも土曜日的な平和な番組も、久しぶりに堪能することができました。
そういう意味では嬉しい週末の一日だったと言えるでしょう。

とはいえ、本当は家から一歩も出たくなかったというネガティヴな側面も否定できません。
健康のために買ったロードバイクにも乗りたくなかったし、鉄道写真を撮る気にもなれなかったし、美味いものを食べに出る気も起らなかったし、誰とも会いたくなかったのです。
煙草も残り2本しかありませんでしたが、買いに出るのが億劫なので、朝からまだ1本しか吸っていません。このブログを書き終えたら残りの1本を吸うつもりですが、それももしかしたら面倒になってやめてしまうかもしれません。
じゃあ寝ていればいいじゃないかと言われそうですが、こんな中でも仕事やブログを書くことだけは朝からしていました。
何故それだけできたのかははっきりしませんが、何やら自分が、壊れた機械仕掛けのオモチャの兵隊みたいな気分になっているのも事実です。そんな気分を変えようという積極的な理由はありません。

買い置きのお酒を、シーチキン・マヨネーズでいただいています。
お酒については、「呑みたい」 時と 「酔いたい」 時があるわけですが、さて今夜はどちらなのか、それすらも結論を出したくない、脱力感満載の週末なのでございます。

http://www.youtube.com/watch?v=gkSxxsAutqw
一日って、本当に白いのでしょうか?

花に嵐の [日々雑感]

相模線橋本終点:撮影;織田哲也.jpg

昨日の気温のせいか、庭の梅木がほとんど満開になってしまいました。
ウチのは白が基調で、枝によってはピンクの花をつけます。お隣が紅梅なので、3色揃う季節です。
一気に開いた花は一気に散ることもあるので、ゆっくり眺めさせてもらえないのかもしれません。
春先は気候が安定せず、再び春の嵐かと思えば、ドカ雪が積もったりすることもあるので油断ならないのです。

『勧酒(かんしゅ)』 于武陵(うぶりょう)

勧君金屈巵 (さあ、この杯をぐっと飲み干すがいい)
満酌不須辞 (飲めないなんて無粋なことを言うもんじゃない)
花発多風雨 (花が咲いても嵐に散ってゆくことだってある)
人生足別離 (人生に別離はつきものではないか) ― 筆者翻案

茶の湯で言えば 「一期一会」 の理(lことわり)といったところですが、この漢詩が有名になったのは、ひとえに室生犀星(むろうさいせい)による翻訳文のせいかと思われます。
前半の2行はまともなので書きませんが、後半の2行は次のようになっています。

花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

これを名訳と受けるか、迷訳と突き放すか、人それぞれです。
寺山修二はこの訳文のあとに、「さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう」 と付け加えたとか。物議をかもしそうな話ではありますが。

今とくに 「別れ」 にこだわっているわけではありませんが、せっかく出てきたネタなので、次の一節も紹介しておこうと思います。
初めて触れたのは大学を卒業してすぐの頃だったと思います。こんな表現は絶対に自分にはできないなあ、というのが素直な感想でした。
いや、できないなあというのは才能が足りない・追いつかないという意味ではなく、自分の知っている日本語とはまったく異次元の日本語を生きている人なんだなあ、という意味でです。それゆえに印象深い一節となりました。

こんどとても好きなひとが出来たら、瞳(め)をつぶってすぐ死んでしまいましょう。
こんど、生活(くらし)が楽になりかけたら、幸福がスルリと逃げないうち死んでしまいましょう。
カンナの花の美しさは、瞬間だけの美しさだが、あゝうらやましいお身分だよ。
またのよには、こんな赤いカンナの花にでも生まれて来ましょう。

『放浪記』 林芙美子

http://www.youtube.com/watch?v=gEjScoV-2BA
半音だらけのメロディーラインです。1979(昭和54)年

春の嵐 [日々雑感]

曲線をまわって:撮影;織田哲也.jpg

今日は一日じゅう、ニュース番組のトップが、太平洋側を中心として吹き荒れた 「春の嵐」 でした。
山の斜面を下りて吹きつける強風というところから、「山」 と 「風」 をミックスした 「嵐」 という文字ができたとされますが、懐疑的な立場をとる説もあります。
「下」 と 「風」 を組み合わせた 「颪(おろし)」 も同系の漢字。「六甲颪」 はつとに有名です。
「嵐」 も 「颪」 も、「荒らし」 と音をかけているようです。

吹くからに 秋の草木の しおるれば むべ山風を 嵐といふらむ
― 『古今集』 より。作者:文屋康秀(ぶんやのやすひで:平安時代の歌人で、小野小町の恋人のひとりだったという説がある)

山から秋の風が吹きおろすようになると、秋の草木は萎れてしまう。なるほど、だから山風のことを 「嵐(荒らし)」と言うのだなあ。(筆者翻案)

この歌は秋のものなので、山風の吹く風景に荒涼感が漂っています。
春の嵐はこれと違い、新しい命の鼓動を予感させてくれるはずのものです。
けれども、真っすぐに歩くことさえ困難な突風の先に濁った大気が揺らめくのを見るとき、本来の姿からどれほど遠ざかったものであろうかと心が重くなります。
黄砂と花粉とPM2.5が吹きすさぶその嵐は、どこか死臭を含んでいる気がして不気味でなりません。
夕方から降り出した雨に、少しだけ気持ちに救いがありましたが。

春嵐(しゅんらん)や 涙にかすむ アスファルト

http://www.youtube.com/watch?v=hO2dWTNiVVw
1973(昭和48)年ごろの曲です。
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