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鉄道とおっぱい [日々雑感]

165系長野色・鳥沢:撮影;織田哲也.jpg

高校生になった頃から、カメラをかかえて鉄道の旅をすることが趣味のひとつになり、独りででかけたり友人と連れ合うことが多くなりました。
私の高校時代は、1971年から1974年です。昭和で言えば、46年から49年に相当します。
そんな頃に少しばかり田舎に行くと、赤ちゃんを抱えたお母さんが車内でたわわなおっぱいを人目も憚らずに出し、赤ちゃんに授乳している光景に出くわすことも稀ではありませんでした。
まあ、高校生ですから視線をそらすふりをしながらチラチラ見たりもしていたのですが、そんな風景は日常茶飯事にあったことなのでしょう。

この国の歴史を考えてみると、女性が胸元を隠す文化はそもそも希薄であったと思われます。
松平定信が寛政の改革の中で 「混浴禁止令」 を出していることを思えば、それまでは大衆浴場の混浴も当たり前にあったということがわかります。
日本の女性の羞恥は腰回りにあったわけで、混浴であった当時も、入浴時には腰巻を巻いていたことが浮世絵などからもうかがえます。
男は褌(ふんどし)を、女は腰巻をつけて、同じ湯を使っていた文化があったわけです。

いや、なぜ今こんなことを突然に書いているかといえば、最近は電車の中で赤ちゃん連れの母子の姿を見かけなくなったなとふと思ったからなのです。
赤ちゃんを連れたお母さんは、今はたいてい車で移動します。
電車の車内がパブリックな空間なのに対して、自家用車の内部はプライベートな空間です。
乳児を育てる空間が社会とは一線を画せるようになったから、今では電車の中でおっぱいをあげることもなければ、そこでおむつを取り替えることもしなくなったということです。
それは環境の整備という点では社会的繁栄の賜物でもあるわけでしょうし、母子にとっても都合のいいことなのかもしれません。
ただ新しい生命である赤ちゃんと、それをなりふり構わず育てているお母さんの姿を、パブリックに見かけなくなっていることは本当にいいことなのだろうかと、疑問が残るのです。

いま電車の中はSNSが支配する電波の世界になり、生活臭がまるで感じられない空間となっています。
けれども、そんな空間ばかりが居心地のいいものだとは限らないのです。
人は生きていく上で緊張ばかりもしていられないので、どうしてもスキというものができてきます。
かつて電車の中で曝け出されていたおっぱいなどは、そのスキの典型みたいなものでしょう。
逆に言えば、そんな場所でスキを見せてしまっても構わないほどに、お母さんたちは赤ちゃんを育てるリアルと正直に向かい合っていたと言えるのではないでしょうか。

鉄路の旅には夢があるとよく言われます。
しかし、夢とリアルとは、同じものでできていると私は思っています。
リアルを感じられない夢は偽物です。高校生の頃に見かけた、赤ちゃんが無心に吸い付くおっぱいに、電車の中でまた会えたら嬉しいと私は密かに思っているのです。

(言っとくけど、おっぱいが見たいっていう話じゃないからね。そりゃまあ、見たいけどさ)

http://www.youtube.com/watch?v=16sO17p4jbE
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