SSブログ

春宵一刻(しゅんしょういっこく) [日々雑感]

E233-EF64:撮影;織田哲也.jpg

久しぶりに千鳥ヶ淵の桜並木などを伺うと、普段は無国籍ふうに振る舞ってはいても、「ああ、俺は日本人なのだな」 とあらためて思い知らされるものです。
夜桜見物などといった風流に、今年はまだ恵まれていないにもかかわらず、です。
現実的には春爛漫の気分だけでも味わいたいためか、記憶の中にある桜の風景を脳内シミュレーションして、せめてもの慰みにしています。
言ってみれば 「エアお花見」 状態です。これで酔えるとは自分でも不思議です。
毎年、井之頭公園を一巡りし、『いせや』 で独り反芻するのが恒例となっていますが、今年はいつ行けるものでしょうか。

『春夜』 (蘇軾)

春宵一刻直千金 (春宵一刻直千金)
花有清香月有陰 (花に清香有り月に陰有り)
歌管樓台聲細細 (歌管樓台(ろうたい)聲細細)
鞦韆院落夜沈沈 (鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく)夜沈沈)

有名な第一句以外は、読み下し文でも意味が取りづらいところです。
ところが非凡の才というべきか、この七言絶句を見事に読みほぐした先達がいます。
二人の訳文を並べてみましょう。

『春の夜』 (土岐善麿・訳)
ひととき惜しき春の宵や
月に陰あり香るは花
たかどのかすかにもる歌笛
ふらここたれて夜はふけたり

『鞦韆(ぶらんこ)ヒッソリ夜ノ庭』 (松下緑・訳)
コガネニ喩(たと)ウ春ノ宵
花ノ香(か)匂ウオボロ月
宴(うたげ)ノ笛ノ音(ね)モトオク
鞦韆(ぶらんこ)ヒッソリ夜ノ庭

この漢詩の詠(うた)うところは、単に 「春の宵はいいものだ」 というわけではありません。
詠み込まれている 「花」 「花の清香」 「照らす月」 「笛の音」 などは、その一瞬一瞬がなんともなまめかしく、生命の輝きに満ちている。
それに比べれば人の世のあくせくした営みにどれほどの価値があるだろうかと、夜の庭の誰も乗らないブランコを見やりながら作者は想いを綴ったのでしょう。
松下緑訳を借りるならば、第一句の 「コガネニ喩(たと)ウ春ノ宵」 という煌(きら)びやかさと、第四句の 「鞦韆(ぶらんこ)ヒッソリ夜ノ庭」 という静けさを、2編の映像に仕立て見比べているような味わいがあります。
と同時に、緩やかで自然な時の流れに溶け込んでいく錯覚を、この詩には感じてしまいます。

http://www.youtube.com/watch?v=SSR6ZzjDZ94
BOSTON
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

『別れの曲』?今じゃなくても… ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。