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寂寥(せきりょう) [日々雑感]

下りE233:撮影;織田哲也.jpg

つい先日28日、岐阜県各務原市にある公園墓地 「瞑想の森」 で、桜の木20本が切られるという出来事が起こりました。
被害に遭ったのは、3分咲きのソメイヨシノ18本とアラカシ2本で、いずれもノコギリのような刃物で根元付近から切られ、一部を残して持ち去られたようです。
高さ3メートルほどもある木を持ちかえって鑑賞するつもりなら、それほど大量に切り倒す必要はないはずです。庭木に利用しようとしても、切った木をそのまま地面に植えたって枯らしてしまうだけです。
こういう目的のはっきりしない犯罪を見聞きすると、心が無駄に干からびていく気分にとらわれます。

誰も得をしない、自分さえも損失を被(こうむ)ることが分かっているのに押しとどめることのできない破壊の誘惑、そんな衝動は誰の中にもあるものでしょう。
けれども、行儀よくまじめなんてクソくらえと思い、夜の校舎の窓ガラスを壊してまわることと、生命ある桜並木を無残に切り倒して進むこととは同列には考えられません。
前者は若いエネルギーの暴発と好意的にとらえる余地もありますが、後者の事件からは 「死臭」 のようなぞっとする不快感さえ漂ってきます。

市によると、被害額は50万円程度だそうです。
桜木20本の被害を法に基づいて計算すれば、まあそんな数字になるのでしょう。市民が心の中から失ったものの損失額を算出する方程式はないわけですから。
今日は肌寒い一日となりそうですが、「花冷え」 とはこんな貧しい気分を指す言葉では決してありません。

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