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廃語の風景⑪ ― ワードプロセッサ [廃語の風景]

485系魔改造車『華』:撮影;織田哲也.jpg

いま 「ワープロ」 といえば、WORD や一太郎といったパソコン用の文書作成アプリケーションソフトを指すのが当たり前になっています。
1980年代の 「ワープロ」 は圧倒的に 「ワードプロセッサ」 を指していました。これはある年代以上の者にとっては記憶に新しいところと言えるでしょう。
日本のパソコン環境は1990年代から徐々に広まりを見せ、Windows 95 の登場によって一気に普及しましたが、それまではワープロ専用機が職場や家庭で支持を得ていました。
今では中古市場にしかその姿を見ることはなくなっています。「廃語」 の風景もいよいよ加速してきたものと、あらためて認識させられます。

私が勤務していた出版社をやめて独力でやりだしたのは1985年のことでした。そのときコピー機より前に導入したのが、キャノンから発売されていた Canoword Mini-5 というワープロでした。
http://www.chiba-muse.or.jp/SCIENCE/vm/doc/sub/0030095.html
上の画像は Mini-9 で、よりあとの機種です。私が買った Mini-5 のほうは文字の出るカーソルが1行しかなく、FDD(フロッピーディスク・ドライブ)もついていませんでした。
辞書には学習機能がなく、同じ変換を何度も繰り返さねばなりません。データを容易に保存できないので、スイッチを切ったら二度とその文書には出会えませんでした。
画像つきの文書を作るなどまったく想定の範囲外。そもそもモニタがついていないわけで、勘を頼りにエイヤッと印刷して、はじめてレイアウトが確認できるという代物でした。
この機種に、当時なんと29万8千円も支払ったのです。

それでもワープロを導入したかったには、私なりの理由があります。
実はワタクシ、たいへん字が汚いのです。
弁解がましいことを言えば、小学校低学年からずっと書道を習っていて、中学生のときにはその教室の最高段位を取るまでになっていました。
だからきれいな字を書くことができないわけではありません。今でも時間をかければバランスが良く美しい文字を書くことはじゅうぶん可能です。
ただ、せっかちでいい加減な気質が災いして、文字をきれいに書く根気が1分も続かないのです。
「字なんか読めりゃいいや」 という割り切りが我ながら見事すぎて、誰も私の字を読むことができないばかりか、時には自分でも何を書いたかわからなくなるほどでした。
だから、ずっと昔から文字をきれいに清書してくれる機械というのを求めていました。ドラえもんがいたら、きっと真っ先にねだったことでしょう。
上に書いた程度のワープロ機種でも、私にとっては夢の道具で、何が何でも手に入れたい一品だったわけです。

いま同じ金額を出せば、パソコン本体にモニタやプリンタもつけて、かなり高級なものが買えます。
けれども、そのセットを買ってきてできることは、たいてい予測がついています。新品を手に入れる喜びはあっても、そのことで夢が大きく広がるかといえば、さほどでもない気がします。
あの頃、初めてワープロを使ったワクワク感は、独立した直後という人生の節目とも相まって、忘れがたい高揚感を与えてくれました。
クライアントに出す大事な企画書で、「今ではイベントは…」 とすべきところを 「居間で排便とは…」 と変換ミスしたまま提出し笑い種になったことも、私には一生の思い出となっています。

http://www.youtube.com/watch?v=teMdjJ3w9iM
最近、このフレーズがアタマから離れません。春だからかなぁ…?
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