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廃語の風景⑫ ― 続・ワードプロセッサ [廃語の風景]

EF210貨レ西国分寺駅通過:撮影;織田哲也.jpg

30歳で独立した頃は神田神保町に事務所がありました。
こう言えば聞こえはよいのですが、実際は某広告代理店の関連の出版社が開店休業状態となっていたところに、間借りしていたわけです。
最初のワープロはこのときに導入したのですが、その後は新しい機能を備えた機種が次々と出回るようになりました。しかもどんどん値段が安くなっていきます。
神保町から秋葉原へは、歩いてでも行ける距離です。
メイド喫茶もAKB劇場もまだなかったアキバに、私は足しげく通いました。電気街巡りは中学時代から大阪・日本橋で修業を積んでいたため、お得意のものです。
目的は、ワープロも含めて進化するOA機器に、実際に触れて回ることでした。

当時、ワープロの辞書機能を計るのに、難解な熟語が変換できるかどうかがひとつの目安になると言われていました。
電器店の店頭に新機種のワープロがあると、私もついついその機能を試してみたものです。
例えば 「ちみもうりょう」 と入力して、「魑魅魍魎」 という 「鬼へん」 の文字が4つも続くおどろおどろしい熟語に変換できるか、といった具合です。
あるいは、「五月雨(さみだれ)」 「陽炎(かげろう)」 「蜻蛉(とんぼ)」 「祝詞(のりと)」 「長閑(のどか)」 といった熟字訓が変換できるかも、興味と試験の対象となっていました。
ついでに言えば、ワープロの黎明期にいろんな機種に触れてまわったおかげで、自然と機器の扱いやキーボード操作に熟練するようにもなっていきました。

そして、意外な効果があったと思えるのは、ワープロ操作を通じて言語そのものへの興味が深まったことでした。
文書を手書きしていた時代は辞書を引くのが面倒なので、複雑な漢字での表記を避けたり、ほかの言い回しに変えたりする傾向がありましたが、キー操作ひとつで変換できるとなるとそんな手間が大きく省けるわけです。
言語のキーボード化は、一方では漢字を覚えなくなったというマイナスも生みましたが、他方で漢字や熟語、日本語への興味といったプラス面が発達したことも否定できないでしょう。
これまでに何度か起こったいわゆる 「日本語ブーム」 に、ワープロの広まりが影響を与えたということは、多くの人が認めるところです。
だから 『書院(シャープ)』 だの 『文豪(NEC)』 だのと大袈裟な名前のついた機種があったのか、と今になって思う次第です。

パソコンを使うようになって以来、(一部のDTP編集機を除いて) ワープロ専用機を使うことはなくなりました。
大型リサイクルショップ、例えば HARD OFF のいちばん奥にはジャンク品を積み上げたコーナーがあります。そこを自らの墓場と決め込んだワープロ専用機もしばしば見かけます。
個々の機器は流れの速い川に浮き沈みしたおかげで、実際に使用された年月からすればTVなどよりずっと短命だったに違いありません。
キーボードに手垢をつけたかつての主はいま、どこでどんな言語生活を送っているか、彼らは知ってみたくないのだろうかと、ひそかに思ったりしています。

http://www.youtube.com/watch?v=wpWYYwYfeMk
八王子出身の作詞・作曲者は、まだ旧姓です。
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