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色いろいろ④ ― 黄 [諸々の特集]

ホリデー快速・河口湖:撮影;織田哲也.jpg

太陽を描くと、日本人ではほとんどの場合赤く塗るケースが多いのですが、世界の多くの国々では黄色く塗るのが一般的だそうです。
聖徳太子が定めた冠位十二階では、黄は赤よりも下に位置付けられています。
「冠位」 という概念の発祥である中国では、黄は皇帝の象徴として最も貴い扱いを受けます。これは五行思想で、黄色が中心・中央を表すことに由来するとか。
現代では、暖色系で最も明るい黄色は 「明朗」 や 「活力」 といった印象はもとより、「知性・好奇心」 の象徴ともされています。
「目新しさ」 や 「独自性」 を想起させることも多いようです。

あまり悪いイメージのない色ですが、目立ちすぎることが災いして 「警戒」 を与えることもあります。ただしこの色効果は、注意を促す信号や標識、子供のレインコートなどに有効利用されています。
自然界でも、ハチの腹部やヘビの胴に黄色と黒の縞があるのは、「警戒」 を相手に与えながら身を守る保護色となるわけです。

ディスプレイや広告制作の担当者に言わせると、
「黄色の商品はあまり売れないが、必ず見せなければならない色」
という話です。
黄色をバックに他の色の商品を配置する、あるいは黄色の商品を中心に他の色のものを周りに展示する、そうすることで見栄えがぐっと良くなるのだそうです。
その発想からすると、黄は 「存在感のある脇役」 としての機能に優れていることになります。
主人公をたてる脇役なだけに、でしゃばり過ぎてはいけない、扱い方は慎重にといったところでしょう。

黄色の存在感ということで言えば、真っ先に思い出されるのは、1970年に公開されたイタリア映画 『ひまわり』 です。
あたり一面のひまわり畑を映したシーンはこの映画の中に何度も登場し、美しさのみならず、戦争によって引き裂かれた男と女の哀しみを見事に描き出していました。

話は少しそれますが、少し前に 『少年少女世界文学全集』 を記事にしたとき(3月28日)、いま私の手元にある 『クオレ』 をもう一度読んでみたい、と書きました。
子供の頃の私は、本といえば図鑑や空想科学ものに没頭していて、物語などほとんど興味がありませんでした。
それなのになぜ 『クオレ』 だけに興味を持ったかと言えば、それはこの小説の構造によるところが大きいのです。
基本のストーリーは、イタリアの小学校に通う主人公と友人たちの日常を描いたものです。
それ自体も面白いのですが、月に一度、担任の先生がクラスで「お話」 をしてくれるというのがポイントです。
その 「お話」 のひとつが 『母をたずねて三千里』 であったり、あるいはまた 『難破船』 であったりするわけです。
こうした 「劇中劇」 構造がこの物語最大の魅力で、文学好きではなかった私の心さえも、一気にその世界へ引っ張っていってくれたのです。
その当時、あれほどたくさん持って熱中していた図鑑も空想科学ものも漫画も、今は手元にまったく残っていません。
そのくせ 『クオレ』 だけはいまだに本棚の隅にあるのです。我ながら不思議に思えてなりません。

映画 『ひまわり』 を見る機会はここ何年もありませんが、もし今 『クオレ』 を読み返すと、地平線まで続くひまわり畑のシーンが、あの黄色で一面覆われたシーンが目の前に蘇ってくる ― そんな予感がしているのはなぜでしょうか。

http://www.youtube.com/watch?v=2O6-LLRdwmQ
マルチェロ・マストロヤンニはすでに鬼籍の人です。
ソフィア・ローレンには長生きしてほしい。

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