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廃語の風景㉗ ― 風鈴 (あるいは feeling) [廃語の風景]

夏・公園:撮影;織田哲也.jpg

いつの頃からだろう、風鈴の音を聴かなくなったのは…。

夏になると、必ずスーパーでもデパートでも、風鈴を売っているコーナーがあったように記憶しています。
いえいえ、風鈴売り場だけの話ではありません。
電器店に行けば、エアコンのコーナーには必ず風鈴がいくつも設置されていて、涼しさの象徴として大きな役割を担っていました。
素麺のCFには、必ずと言っていいほど、風にそよいで軽やかに鳴る風鈴の音色が添えられていたと覚えています。
あの風鈴は、どこに消えてしまったのでしょうか。

当たり前の話ですが、風鈴そのものやその音色がいくら美しくとも、涼風を起こしてくれる機能があるはずもありません。
それはあくまでも気分の問題。
チリンチリンと響く音色は、昔から高温多湿の夏の重苦しい大気に、ほんのわずか気の流れを気付かせてくれるというだけの、言ってみれば「気休め」でしかないのです。
けれども日本人は、その気休めに風情を感じることで、文字通り気を休めていたのです。「暑いわねぇ」とか何とか呟きながら、団扇(うちわ)で額に滲む汗を乾かしながら。
灼熱の陽光のなかに、人も動物も、セミの鳴き声も夕立の雷さまも、団扇も風鈴も、額の汗もかすかな風も、ひとつに重なって溶け込んでいたのが、日本の夏だったのではないでしょうか。

あるサイトによると、風鈴の音は「近所迷惑」であると訴えられる場合があるのだそうです。
この『廃語の風景』というシリーズを始めたとき、決して「昔は良かった」という記事にはしたくないというコンセプトを持っていましたので、そんな主張をするつもりはありませんが、ならば翻って考えると、このようには言えますまいか。
「風鈴の音色が近所迷惑になると主張する人は、よほどこの国の文化に馴染めなくなってしまわれたのですね」と。
もちろん、こうした考えが巡ってしまうとき、哀しい気分の起こるのは否めません。

夏といえば暑い、暑いといえばエアコン。
昨今の熱中症対策も考えれば、それはある意味正解なのかもしれません。
でもねえ、空調のバッチリ効いた部屋で甲子園の熱闘を視ていても、感動は薄いんですよ。
風鈴の音色や素麺・西瓜の口当たりの良さで身も心も少しずつ潤しながら、夏の暑さそのものを楽しむ、それがこの国に生まれた甲斐というものではないでしょうか。

決して無理をしようと勧めているわけではありません。暑い寒いというときには、冷房も暖房も人には必要なのです。
ただ、人工的に調節された環境にどっぷりつかっている生活の中でも、わが国が古来より継承されてきた「わび・さび」の文化を少しでも失いたくないと考えているだけなのです。

エアコンの効いた部屋の中でも、ときどき鳴らしてやる風鈴の音は意外に新鮮なものです。
こればかりは理屈で伝えようとしても、まったく始まりません。
なぜなら、夏ほど「思う・考える(think)」ではなく、「感じる(feel)」季節はほかには見当たらないからです。

http://www.youtube.com/watch?v=MpoORSGqV9A
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